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「抱ける」っていう、男目線の評価にモノ申す。

タレントの宮崎美子が、芸能生活40周年を期して、カレンダー用のグラビアとしてビキニ姿を披露した。

満61歳。還暦過ぎとは思えない、溌溂とした肢体。
「こんな61歳を迎えたい」憧れの気持ちで上の記事をシェアしたら、周囲の同世代男女も皆、同じように称賛していた。

だが数名のコメントの中に、ちょっと引っかかるものがあった。

「抱ける」「これはやれる」「抱きたい60代暫定1位」
当然ながら、どれも男性からのコメントだ。あえて主語がなくてもおわかりだろうが、すべてセックス基準で評価している。

彼らにとって、このコメントはおそらく(宮崎美子に対する)称賛のひとつなのだろう。当のコメントを発した彼らに確かめたわけではないが、この意味するところはつまり、女性を「勃つ」かどうかで評価し「女」ジャッジしているということだ。

+ + +

だが女にとって、男たちから「性の対象」として見られることは、決して嬉しいことではない。
多くの女性は、痴漢に遭ったりセクハラされたりといった性被害を経験している。それらがトラウマとなり、好きな男からの性的目線でさえ恐怖になってしまう女もいる。

健全な意味でのセクシーさは、女性から見ても美しく思えるし、羨ましくも感じる。今回の宮崎美子のグラビアも、おおむね女性はそのように評価していると思う。

私が上の「抱ける」云々に引っかかったのは、あたかも称賛だと勘違いしている男性の思考に疑問を感じたからだ。

今回のグラビアのみならず、男の中にはそれを誉め言葉だと信じて疑わない輩が一定数存在する。
男同士で特定の女性をネタに「抱ける」「無理」といった下世話な会話をする程度なら、私だって理解できる。女性だって、女子会の場でイケメンタレントを「抱かれたい」などとネタにすることはあるし。

だけど、これだけは言っておく。
女に対し「抱ける」「やれる」というのは、マジ誉め言葉じゃないぞ。
そもそも、宮崎美子に対し「抱ける」って、どの視点で物申してるんだか。

たとえば目の前にいる熟女に対し「僕、○○さん(熟女)なら抱けますよ」とのたまう輩。
当の本人は「他の熟女は無理だけど、○○さんなら女として見れる」の意で言ってるのかもしれないが、言われたほうは呆れてモノが言えない。

こっちは土下座して「抱かせて」と頼まれてもごめんだ。
アンタの下半身が反応されること自体、むしろ迷惑。
男目線では「女として見られるうちが華」かもしれないが、好きでもない男の下半身など、女にとってはどうだっていい。

「抱ける」ってのは「抱いてやってもいい」ってことだよね。
いつ、てめぇに抱いてくれと頼んだ?

じょーーーだんじゃない。
オ・コ・ト・ワ・リ!

+ + +

……失礼。
頭に血が上り、取り乱してしまった。笑

安易に反応する下半身は、男にとって「健康のバロメータ」「若さの証」なのかもしれない。
だけど、女は同じように解釈しない。むしろ理性で完全にコントロールできる男こそが高評価に値する。

そのことは、男性全員に覚えておいてほしい。

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