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極寒の中、便器を抱えながら「もう独りはイヤ」だと思った。

死を目前にしたとき、人は己の最も内側に潜んでいる本音に気づく。
「どうして死ぬ前に〇〇しなかったんだろう」
「このまま〇〇しないで死んでしまうなんて」

元気なときは、すっかり忘れている欲望。願望。希望。
私の場合、それは「結婚」だった。

「女」を売ることの限界

四十五歳の冬。自宅のトイレで便器を抱えた私は、死ぬほどの苦しみと戦っていた。当時、物書きの傍ら潜入取材としてホステスのバイトをしており、この日は飲み過ぎてしまったのだ。

女子大生の頃から、お金に困るたび「手っ取り早く稼ぐ」ためにしていたホステス稼業。
だがハタチの小娘とアラフォーの熟女は、外見も体力も大きく違う。色恋を期待されなくなったのは楽でいいが、そのぶん「まぁ飲め」と酔わせられた上、酒が不味くなるような客の愚痴や過去の栄光ネタをエンドレスで聞かされるのは、なかなかの苦行だった。

一年でもっとも寒い二月某日、私は生理中で酔いやすい体調を隠して接客をしていた。「元気なフリ」の演技は、閉店しバイトをあがるまで完璧にキープできていた。
帰宅し酔い覚ましの水を口にした瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。トイレに駆け込み胃の中身を吐き出すも、接客中はほとんど食べないので、わずかな液体しか出てこない。

(私、何やってんだろう……)

酒に飲まれるのは、ホステス失格だ。「女を売って金にする」商売への肉体的限界を悟った私は、同時に「この先の人生、もう女として扱われることはないのかな」と思い、鳥肌が立った。

止まらぬ吐き気。死にそうなほどの苦しみ。
「いっそ殺してくれ」と叫びつつ、涙と唾液でぐちゃぐちゃな顔をトイレットペーパーで拭いながら「もう独りで生きるのはイヤだ」と思った。

翌朝、二日酔いで目覚め、冷蔵庫から炭酸水を出して一気飲みした。
自分以外、誰もいない部屋。昨夜は風呂にも入らずメイクすら落とさずベッドに倒れ込んだから、髪も顔もひどいことになっている。
家族がいれば、きっと注意されたり呆れたりされるに違いない。自堕落な生活でも、誰にも叱られないほどの孤独。
「もう独りでいたくない」再び実感した。今度は、腹の底からそう思った。

「独り」の人生なんて、想定外だった

酒も抜け冷静さを取り戻した私は、改めて「寂しさ」と向き合ってみた。
そこで出た答えは「結婚したい」だった。

24歳の初婚の相手とは、私のワガママにより3年半で離婚した。
36歳から同棲し事実婚状態になった相手とは、7年半でお別れした。
44歳で婚約した相手とは、同棲後に無理を感じ、婚約解消して友達に戻った。

別れた事実については、ひとつも後悔はしていない。仮に復縁を望まれても「来世になったら検討する」と言って逃げる選択しか思いつかない。
隣にパートナーのいる暮らしが、私にとっては自然だったはずなのに。気がつけば、どの男ともうまくいかず別れ、子どもがいるわけでもなく、何も手元に残らず、独りぼっちになっていた。

独りで生きることを望んでいたわけじゃない。妥協や苦しみを抱えながら一緒にいるほど男に依存してなかったから別れただけで、毎回「次こそは、自分に合う男と、いつまでも仲良く暮らしたい」と望んでいたのだ。

潜入取材という口実があれば、何だってできる

大人になるにつれ、経済力や生活スキルなど「独りで生きていく」逞しさはいつの間にか身についていた。映画館だって独りで入れるし、ひとり焼肉だって恥ずかしいとは思わない。
だけど深夜、急に襲ってくる「死にたくなるほどの寂しさ」だけは、酒を飲むか眠剤を入れて熟睡するくらいしか、誤魔化す方法が見つからない。

孤独死することに比べたら、婚活は微塵も恐ろしくない。世間から「いい歳して」と笑われる恥ずかしさなど、すでに超越している。
何度となく繰り返す「独りの寂しさ」と折り合いをつける方法を模索するのも悪くはないが、婚活して「家族のいる幸せな暮らし」を手に入れるほうが、ずっと有益だ。

幸いにして、私は作家という商売をしている。熟女ホステスの実態を潜入取材したのと同様、熟女婚活だって潜入取材という体裁があれば、堂々と体験できる。
成功すれば御の字、失敗してもネタを書けば、お金に替えることができる。ビバ公私混同!

すでにアラフィフとなった46歳の秋、私はとある婚活サイトに会員登録をした。
そして、アラフィフ熟女にとっての婚活が茨の道であることを、身をもって痛感する羽目になった。

(つづく)

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