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【#この街がすき】静岡生まれは『もうけもん』

静岡県島田市で生まれ育った私。
私が子供時代を過ごした昭和、ラジオからは流行歌やドラマの朗読が流れていて、私たち家族はみんなで島田市内の銭湯巡りをしたものでした。
三丁目のお湯屋は男湯と女湯の間に水槽があり、金魚がヒラヒラ泳いでいました。湯船に浸かると一緒に泳いでいるみたいで、気分はマーメイドでした。
もちろん壁には大きな富士のお山が描かれていました。

新幹線から見える富士山!

富士山、駿河湾、大井川、SL、お茶、みかん……いいもんだな~、ふるさとは~。
温暖な自然に恵まれた『静岡県』ここで産まれたことが既に『もうけもん』てなワケです。

今では穏やかで平和な島田市には、戦時中の爆弾で壊滅してしまった扇町(おうぎまち)の悲しい過去があります。当時の島田市の人々は、扇町の孤児や焼け出された家の子を各家庭で受け入れ、分け隔てなく育てていました。
私が小学生の頃にも、献血を呼びかけるヘリコプターが飛んていたのを覚えています。終戦後の平和な時代になっても爆弾で怪我をした人は未だ苦しみ、手術を繰り返しているんだよと教えられました。「島田市の人たちは緊急の呼び掛けに何を置いても駆けつける」「誰しも心配する家族がいるでな」と言う父の献血手帳も満杯でした。

扇町の教訓が心に根付いているからこその『困っていれば助けるの精神』。助け合って前に進む底力。優しさこそ原点。
そんな人々が住んでいる町。だから私は島田市が好きです。

#この街がすき

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