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役所には「組織内での対話」が不足している?~ポイントは「正解の想定」と「問い合い」かも~


ここ数年、“対話” や “ダイアログ(dialogue)” の重要性について見かけること/耳にすることが多くなりました。
この記事中では、本来は完全に同義とはいえない “対話” と “ダイアログ” を同じ意味として書かせていただきます。


例えば、

(経済) 組織の中での対話やステークホルダーとの対話が必要

とか、

(地域) 多様な市民(企業・団体)による対話が重要

といった言葉を多く目にするように感じています。(私の個人的な感覚です)


そもそも対話(ダイアログ)とは何でしょうか? 『ダイアローグ』(デヴィッド・ボーム著)の意図を汲むと

人々の間を通って流れている「意味の流れ」もしくはその流れをつくるやりとり(島田の解釈を含みます)

です。

ちなみに、ダイアログ(dialogue)は「logos《言葉(の意味)》」+「dia《~を通して》」が語源。
diaを2つ(2人)と理解して、2者以上で言葉のやり取りをすることをダイアログ(対話)と考える人もいるようですが、ボームによれば

対話の精神が存在すれば、一人でも自分自身と対話できる

のがダイアログ(対話)です。


行政でも、アリバイ作りのためのまちづくりワークショップではなく、対話型シミュレーションゲームを活用して総合振興計画の策定を進める地域があったり、市民の中からファシリテーターを育成し協働のまちづくりを進める地域があったり。

もちろん、対話を掲げる総ての事例が、本当の意味で役所と市民、市民同士の対話がなされているわけでは無いとは思いますが。


こういった話を見聞きするたびに私の中でモヤモヤするのが、

役所における組織内の対話
って、ちょっと不足していませか!?

ということです。


役所の中では、報告・連絡・相談は多いですよね。
あとは会議も多いですね。

ちなみに報・連・相や会議と “対話” は違うのでしょうか?
そこに対話はないのでしょうか?

私は、報・連・相や会議の総てが、全く対話では無い、とまでは思っていません。報・連・相や会議は、そのケースごとに“対話的要素の割合や質が変わる”と感じています。

対話的な要素が豊富な会議から全く対話的要素が無い会議まで、グラデーションのように変化し、そのレベルは会議によって様々です。


では、何が対話的要素の量や質を左右するのでしょうか?


私なりの現時点の考えは、

★正解の存在を想定するかどうか
★互いの問い合いがあるかどうか

の2点が大きく影響しているというものです。


正解を想定しないというのは、自分にとって大切なことがあってもそれありきで臨まず、
「私が大切だと思っていることは実は大切じゃないかもしれないし、大切かもしれないけど、今この場では一旦脇に置こう」
と考えて相手と向き合うこと。



互いに問い合うというのは、自分にとって大切なことを留保し、一旦脇に置くのと同じように、相手が考えているであろうことや知っているはずのこと、立場上大切にしているのではないかと推測できることを一旦忘れて
「あの人が考えてること、知ってること、大切にしていることを知っているという思い込みは一旦忘れて、私は何も理解できていないという前提で臨もう」
と考えて相手と向き合うこと。


例えば、事務局でガッチリと進行を作りこんで、議長がその通りに読み上げ、事務局が議案と資料の説明をし、想定問答の範囲内の簡単な質疑を2つ3つこなして議決するような会議。

これは“事務局案を微修正の範囲内で決定する”という“正解”を目指し、問われたことを想定の範囲内で決められた内容で回答するだけで問いかけ合うことも無い会議。


皆さんもたくさん経験しているのではないでしょうか?


これを例えば対話的要素を大きくしようと思ったら、私だったらこんなことを考えます。

★「この会議は出席者の皆さんと一緒に考える場であり事務局案はたたき台である」ことに理解を求める
★事務局からも積極的に各出席者に問いかける

もちろん、たたき台とはいえ事務局案は、しっかりと作りこみます。
でも、それはあくまで会議の目的のための“事務局的最善策”にすぎません。間違っても、唯一無二の正解を作った気にならないこと

だからこそ、事務局案の様々な点について、市役所で言えば部署ごとに専門分野を持つ出席者の“知恵”を借りるつもりで臨みます。

そうすると、事務局からも積極的に各出席者に問いかけたいことが手元に用意されている状態で会議が行われます。


「経済部局の●●課の●●という事業とは連携するんですか?」

想定問答には出てこないこんな問い。
“正解”を目指していれば

「そういう予定はありません」

って答えてしまいますが、正解ありきでないならば、事務局からも問いかけて、互いに問い合うこともできます。


例えば、質問を受けた事務局側から質問者に対して

「●●課の●●というのはどういう事業なのですか?」
「どうしてその事業との連携が気になったんですか?」

というような問いかけを返すことから、たたき台をより好い施策となるように改善する材料集めができるかもしれません。



象徴的な場所が、私は議会と市長室だと感じています。

常任委員会で議員さんから質問されたことについて、その問題意識を定めたり、お持ちの知識をアップデートするために執行部から“質問返し”をすることは、基本的にありませんよね。(通告後の問取りでの会話が、唯一対話的要素を持ち込める場面でしょうか→だから問取りって大切な場面なんですよね)

また、市長へのレクチャーを幹部や課長さんたちが行う場面で、例えば市長から何らかの指示を受ける、または状況について何らかの苦言をいただくケースもありますよね。

でも、その市長の言葉にレクに入った幹部なり課長さんなりが、市長の問題意識を明らかにするまで丁寧に問い合うことは、私の周りではほとんど聴きません。(政令指定都市の市長が忙し過ぎて、時間の確保が困難を極めるという事情もあるかもしれませんが)


いずれも、説明する側はちゃんと説明/答弁をして、その内容に納得してもらうという“正解”を目指していて、しかも、そこにその場で双方が“問い合う”ということがありません。


もちろん、私たち普通の職員にとって一番の主戦場は、会議の場でも無く、市長室や委員会室ではない、普段の日常の職場での対話。

そこでどうしたら対話的要素のグラデーションをグググっと対話的な場に寄せられるのか、私の中でも大きなテーマになっています。


結論から言えばこれは文化や風土のようなものなので、残念ながら急に役所の中のあらゆる場面で、対話的要素が高まるとは考え難いです。

でも、もし自分にできる範囲で何かやろうと思う人に向けて、私が実際に職場で心がけ、実践していることをご紹介いたします。

《姿勢編》
・この場の誰も正解を知らない、そもそもこの課題に正解なんてないという前提を常に持ち、業務における正解探しを止める
・相手がどんな人物でも言われっ放し/言いっ放しにせず、問い合うよう心がける
《実践編》
上司から指示を受けるときは、その場面を対話の場にする
・職場では机を寄せ合う島をワークショップの一つのグループだと思う
・後輩や同僚と定期的に1対1で対話をする時間を作る


《姿勢編》でも《実践編》でも大切にしているのは、「正解を想定しないこと」と「問い合うこと」。


文化や風土だから変えにくいのですが、一方で様々な制度改正にその都度対応し、自らが異動すれば数日で新しい組織のルールに対応できるのが地方公務員の特徴でもあります。

そう考えたら、対話型コミュニケーションの文化も浸透し始めたら、意外と早く拡がるかもしれません。


皆さんの職場ではどうでしょうか?
皆さんご自身の環境に当てはめてみて、どのようにお考えでしょうか?



【参考文献】

組織の中での「対話」について大変分かりやすく書かれており、実践にあたってもとても参考になる一冊。組織の中の多くの人が「わかりあえなさ」から始められるようになったら、組織内でコミュニケーションが関係するすべての問題の8割は解決する気がします。


Words create world.(言葉が世界をつくる)
実存する世界を言葉で表現するのではなくて、言葉により社会が「構成」されるという世界との関わり方を提案する「社会構成主義」という考え方について平易に書かれた入門書。「『あなたへの社会構成主義』が難しくて……」という方はこちらの本から読むことをおススメします。


「対話とかダイアログとかいうけど、結局それって何なの?」という本質と向き合う一冊。抽象度が高く読みにくい箇所もありますが、各章は独立して読むこともできるので「2章 対話とは何か」だけでも呼んでいただければ「対話(ダイアログ)」の正体が理解できるはずです。




この記事はアメブロのこちらの記事をリライトした記事でした。


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