大変 (大きな変化)
わたしは、5年前まで生きる屍のような状態だった。
若い頃からなぜか他の人より心が不安定で、自信がなくて、いつでも悩みが尽きなかった。
本当に小さなことに傷ついてしまったり、悩んでしまったり、クヨクヨしたり、どうしてわたしはこんなに悩みが尽きないのかといつでも悩んでた。
それを解決するのはわたしの在り方(人への接し方や努力の方向性や量)が足りないのかと思って、自己改善することばかり考えていた。
とにかく正しい行いを心がけたり、人には誠実に礼儀正しくしようとしたり、人の見ていないところで公衆トイレを掃除したり、お年寄りを助けたり、尋常ではないほど努力をしたり、、、、
苦しすぎたから、必死で、状況が変わるなら、なんでもやろうと思ってた。
とにかく、多くのものを身につければ、この状況から脱することができると思い込んでした。
とにかく、辛くて、苦しくて。
周りの人にもとても優しくした。相談されれば、親身になってできることをみんなしてあげた。
でも、ぜんぜん、状況はよくなるどころか、苦しくなるばかりで、抜け出せる兆しはどんどん失われた。
わたしが、猛烈に自己否定して、人生にいつも強い不安感を抱いていたから。
どこまでいっても、わたしは、自分が努力すれば、何かを手にすれば、そこから抜け出せると思い込んでた。
つい、最近まで。
だから、わたしは、多くのことを成してきたけれど、ちっとも満たされなかったし、幸せな気持ちにはなれなかった。(もちろん、そういう時もあった)
念願の地域づくりの仕事を行政とともにできて、役職はマネージャーになれた。イベントもいくつも開催して、チラシやポスターなどのデザインもさせていただいた。
念願のインテリアデザインの仕事に就き、ずっと貢献したかった障害者の方々の可能性を活かした空間づくりができた。
やりたいと言っていた地域の人の夢を応援するイベントは、仲間が誘ってくれて、盛況に実現できた。
念願のミズコンテストに出て、ファイナリストになれた。
はて。
さて。
こんなにも夢を叶えて、多くのものを成し遂げてきたのに、満足しないのは何故なのだろう?
それは、、、
わたしの欲しかったものがそれじゃなかったから。
わたしが、欲しかったのは、温かい人との関わりだったのだと心底気づいた。
成功や栄光が欲しかったわけじゃなかった。
いつも応援してくれる家族。
どんな話も受け止めてくれる親友。
夢をともに追いかけられる仲間たち。
心から頼れる人。
理解しあえて信頼できるパートナー。
成功や栄光は、言うなれば、苦しさから抜け出すために必要だと思い込んでいたから追いかけていただけた。
それを手にすれば(正確にいうと、自分らしく働ける仕事)、長年の病が治るのではないかとなぜか思い込んでいたのだ。
でも、それは、まったくの方向違いだった。
追いかければ追いかけるほど、苦しくなったし、得て得ても満足しなかった。
スティーブ・ジョブスもなくなる前に、気づいている。
体の健康と温かい人とのつながりの大切さに。
5年以上前、うつ病で動けなかった頃、これに一度気づいて、どん底まで行った時、助けてくれるのは人だから人を大切にしようと思っていた。
その前後は、本当に繊細に人を扱っていたので、わたしには多くの友達が残っていた。
でも、人を大切にするのは、自分を大切にできてなければ実はちょっと難しいことで、自尊心の低い人は人間関係で躓きやすく、人間不信に陥りやすいので、、、
それ以後、もう一回躓いてしまった。
5年前に動き出してからは、茨の道で、自信のないわたしは、その自信のなさを体現するような人と出会い、否定されて、批判されて、いじめのようなことにもあった。4年くらい前のことだ。
スピリチュアルを理解しているので、自分の心が起こしていたことはわかっている。
躓いて、もう一度、完全に人間不信になり、どうやっても人が信じられなくて、心を閉ざした。
しばらく、ツンツンして過ごしていた。
たくさん残っていた友達とも疎遠になって、ひとりぼっちな気分を味わった。
おそらく、自ら。
思い込んでいた。
今は、少しずつまた心を開いている。
開いてみると、辛いこともある。
開いたのに、受け入れてもらえなくて、それどころか馬鹿にされてるように感じてしまうときもある。
でも、諦めずに開いてみると、開いたからこそ、繋がれる人たちが出てくる。
開いたからこそ、得られる感じられる温かさがある。
最近、だからからか、わたしの本質に近い人に出逢いつつある。
とても優しくて繊細で、前向きで向上心があって、自律的でいろいろできて、ちょっと不器用な人たちだ。
(自分で言ってしまうw)
繊細な優しいコミュニケーションに癒される。
素直に、ありがとうが溢れてくる。
自然体ってこういうことだなぁ〜と思う。
こうして、ここまできて、本当に欲しかったものは、そんなに大それたものではなく、とても身近にあったものだと気づく。
愛おしい、嬉しい。
愛ってこういうものだと思う。