見出し画像

金木犀の香りのたまらんワケ【しまさんの読むRadio】

こんばんは。すっかり秋めいてきたここ数日・・・と思いきやまだまだ「夏」日がある最近です。


近所と実家と、金木犀の花が今咲き誇っています。通勤のたびに3か所通るので、いちいち見ちゃいます。

ほんまにそんな時期ですね。

そんな今の時期ぴったりな、金木犀の、「歌の」話をします(笑)

取り上げたいのは、フジファブリックの「赤黄色の金木犀」です。

フジファブリックといえば、多くの歌手がカバーしている「若者のすべて」が有名ですが、こちらも名曲です。

「赤黄色の金木犀」で検索したら、こんな解説記事も出てきたのですが、これを読んだ瞬間にこのnoteでは絶対に解説しちゃだめだなって思ったので超絶個人的な話にまとめようと思います。

いい匂い、だけじゃないんだよね多分

金木犀は、秋口(大体9月下旬~10月)頃に花を咲かして、その良いにおいもあいまって存在感をたっぷり発揮する。(サムネもその画像ですね)

逆に言うと、それ以外の季節には全然意識しない花でもあるかもしれません。桜の木も似ているところだけど。


「赤黄色の金木犀」でも、

赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって

といってしまうくらい。


たぶんだけど、いい匂いだから存在感がある、というのももちろんなんだけど、金木犀も桜みたいな「散ってしまった」きれいさが含まれているから存在感があるのかもしれない。「消えてしまう」という存在感。


夏が終わって(やっとって感じだったけど)、そのときの思いとか熱さとか、いい意味でも悪い意味でも冷める(醒める)秋になった、ということを金木犀はその匂いとともに教えてくれるんじゃないかなと。

桜が春なら金木犀は秋か

「秋」という言葉を一度も使わず、秋に入ってくことを情景描写で描いているのが興味深い


もうこの1年の日数が少ないことを

僕は残りの月にする事を
決めて歩くスピードを上げた

と示している。


「秋の日はつるべ落とし」は

いつの間にか地面に映った
影が伸びて解らなくなった(=同じ時間でそんなことなかったのに)

で表現している。

ただ実はこのフレーズそれぞれは、

赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって
何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道

のフレーズを挟んでいて、香りがしてきて、なんか胸騒ぎが収まらない、という揺らぎが前後で発生していることがわかる。

だって、最初は「何かを決断して次に進もう」といっていたのに、金木犀の香りをかいで、「いつの間にか日が暮れていた」と言っているから、どこかざわざわしているんだろう。

桜も、金木犀も、咲いているのを見ていると、心奪われるのは一緒、なんならそこで感じる感情(感傷)も一緒なのかな、なんて。

夏が、終わった

個人的な話、というところに少しずつ入っていくんだけど、秋という季節はなにか変わったことは自分には少なかった。

冬に向けての準備をしなきゃな、と思うことがあっても、「夏が終わってしまった」と打ちひしがれることがなかった。むしろ「やっと終わった…」という感覚が強かった。


けど今年はなんかちがう。

初めて夏の喪失感を感じた。


多分、「本来だったら味わえる夏」がない、というのを如実に感じたからかもしれない。

ホントに遊んでない気がする笑


いつも夏はちょっとしたお出かけをするくらいで、お盆は休みがない家庭だったので、終わってちょこっと北海道に避暑しに行くくらいだった。


今年は「それさえも叶わない」というのが決定的に違ったのかな、と。


もう少し、外に出よう。秋は過ごしやすいし、金木犀も咲いている。そして冬はもっとスキーでもしに行こう。雪山に行こう。そう思った。


しまさんの読むRadioのバックナンバーはこちら▽


この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,222件

しまさんが気分で書いています。「感動した!」「今後も楽しませてください!」と思ったらちょっとサポートいただけると日々の筆がさらに進んで面白い記事を書きたくなります!