僕が「多様性」を追い求めているワケと社会のやさしさについて

こんにちは、今回は前から気にしていてたテーマをnoteで書こうと思います。

2020年4月現在、僕のツイッターの固定ツイートにはこんなものをぶら下げてます。

ちなみに元ツイはこちら↓


僕は、昔から「多様性社会にしたい」とか「包摂的な社会を創りたい」とか「やさしい社会っていいよね」とか言ってきました。昔って言っても、大学くらいのころからだから、たかだか5,6年くらいですが。


ブログでも、「人間の価値を測定するってどういうことよ?」という話を書いたこともありました。

また、僕が最近応援しているNPO法人コモンビートさんは、「個性が響き合う社会を目指して」と掲げて、ミュージカルにそのメッセージを載せて多くの観客を魅了し、ミュージカル出演者もその「個性が響き合う」ことを理解できるプログラムとして、一般の人がやっています。


(上の記事は先日観劇したときの感想です)


さて、僕がなぜ「多様性社会への道」を追い求めているのか、ということを書こうと思います。

男らしさ、女らしさ、って必要なん?

冒頭に出したツイートは個人的に特に響いたものです。

僕は、正直言って「男子っぽさがない」男性です。

こんな記事を書いちゃったくらいには。


男子っぽさがない部分を列挙すると

・肌が弱く、日焼けに弱い。色白な方。
・基本は「エモ」攻め。
・趣味の中にカメラがある。音楽も好き。
・繊細。

一方で男子っぽい部分もあります。

・一つのことに対する熱意が強い
・野球、スキーなどスポーツの趣味もある
・外見はどんなにがんばっても男性

こんなふうに列挙すると「男子っぽい」「女子っぽい」はもはや用をなさない気がするんです。僕はあくまで「しまさん」というヒトリの人間だ、と。


しかし、男性に生まれてしまった以上、「男性的役割」を求められることがたくさんあります。


それは、「強い男性像」を見せしめること。

それは、「かっこいいことを追求する」こと。

それは、「自分がほかの人よりいかに強いかを誇る」こと

それは、「成果をあげろ(戦国時代で言う「首級をとれ」)」


もちろん、それを求められて、応えられる人はすばらしい。ほめてもらえるべきだし、それ相応の報酬を得てよいと思うんです。


でもそれを全員に採用するのか???というわけだ。

先日ツイッターで流れてきたこの記事も、首がマキシマムザホルモン並みに縦に振りたくなる内容だった。

そう、「男として情けない」という声を、または「男はこうして当たり前じゃん?」という押し付けを。


マンガだから早く読める、というのもあったんだけど、これは人生において「成果を出す」に限らず。


恋愛市場がわかりやすい。「こういう男が結婚できる」というのが大量にツイッターで流れてくる。そんなにオトコは測定されっぱなしなのかと思うとホント嫌になってくる。


それは、「強い男性像」を見せしめること。

それは、「かっこいいことを追求する」こと。

それは、「自分がほかの人よりいかに強いかを誇る」こと

それは、「成果をあげろ」


これに乗れない人は皆死ねと?


僕はむりだ。何度死にたいと思ったことか。(特に前半3つ)


「多様性社会」というのは、こういう僕みたいな、ある意味では偏屈で、でもある意味では「そんな人もいるよね」という人を、包摂しうるものだと信じています。

だから、追い求めているのかなと。

「社会のやさしさ」って何だろう?

最近は在宅勤務ということもあり、実家のお寺にいることもしばしばあります。

そんなある日、親と話していてかなりの違和感を感じたことがありました。


「あの保険の営業の人(女性)、旦那さんが男は仕事、女は家事っていう人でさあ。古いよね~。」


うん、確かに、いわゆる「昭和の男」感がある、とは言えるかもしれないです。


でも、そういう「価値観」さえも受け入れて、初めて多様性だと思うんです。古いことさえも認める。もちろん、「男は仕事、女は家事」で夫婦関係が苦しいなら話は別ですが。


○○は古い、で切り捨てるのは簡単です。

「男は仕事、女は家事」という価値観は古い、ダイバーシティ精神に反する、とバッサリ一刀両断することは簡単かつ気持ちいいと思います。


でもね、それを「多様性社会」というのはちょっと違くないかい?


それも認めて、もし違和感があればそれを伝えたらいい。対話から解決していくのが「多様性社会」のルールだ。


気が付いたら「多様性社会になっている」わけじゃないんです。

外国人や女性や障がい者やLGBTQを職場に適当に放り込めば多様性社会だ、ではないんです。


女性っぽい男性、日本国籍の外国人、昭和の親父のような価値観の人、それもすべて認めて受け容れて、初めて「多様性社会」だと思います。


「多様性社会」という「やさしい社会」を作るのは、なにひとつ「易しい」ことはなくて、不断の努力の果てにあるものとも思います。

そんな話を下記の記事にも書きましたが。


改めて、社会のやさしさというのは、多分ですが、「いったんは受け入れてみる」ことができる社会だと思うんです。


「お前は○○だ」「〇〇らしくいろよ」なんていう言葉はいらない。


いまこそ、このいまこそ、「やさしい社会を、作ろう」

さいごに

この記事を書いている間に、Mr.childrenのYoutubeで多くのMVが無料公開されていました。

その中でも、2017年の連続テレビ小説「べっぴんさん」でも使われた「ヒカリノアトリエ」が改めて今の状況に聴くのにあまりにも適切過ぎて、さっきからずっと聞いてます。

ちゃんと歌詞を聴いて涙が出そうな箇所がありました。

誰の胸の中にだって薄暗い雲はある
その闇に飲まれぬように
今日をそっと照らしていこう
(中略)
空にかかる虹を今日も信じ
歩き続けよう

優しすぎる嘘で涙を拭いたら
虹はほらそこに
過去は消えず
未来は読めず
不安が付きまとう
だけど明日を変えていくんなら今
今だけがここにある

うん、ひとまず、心を歌で癒そう。そして空でも見上げよう。


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