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ノリと仲間っていいもんだ【 #Cplus 体験記Vol.2】

今日は2日目でした。そろそろ、いろんなメンバーと話す機会が増えて、「初めまして」が減ってきた気がします。

終わってみて、「ノリ(勢い)も悪くない」「いろいろ話せる仲間っていいな」ということを肯定的に感じたのが、自分でも少し驚きでした。

僕自身、「ノリ(勢い)も悪くない」「いろいろ話せる仲間っていいな」と感じることはあっても、それが肯定に傾いた形で感じきれるのは久しぶりだったと思います。

ノリ(勢い)も悪くな

今日は、作品発表するグループの初顔合わせと、グループ名決めがありました。

初顔合わせして、お昼を食べながら、自己紹介をしました。

偶然、スタッフ以外は全く話したことがない参加者同士で、かつ自分以外女性というグループになりました。これもご縁かな。

その次はアイスブレイクのアクティビティとして、「ito」で、遊んでました。

でもって、グループ名を決める時間になったのですが、その前で盛り上がりすぎて、残り5分。やべえ。


しかし、結果として、ノリと勢いでチーム名「Café シマダ」と【2分】で決まった上に、公開する演劇の下地(カフェ)もできました。チーム名が決まった経緯は

みんなの自己紹介から共通点を探すと、「お茶が好き」だった
→なんか飲み物、お茶関係でチーム名作りたいね
→じゃあしまさんをマスターにしたカフェっていう設定にするかw
→なんかしっくりきちゃったし、発表する作品もそれに沿わすかw

という流れでした。なんとまあ、ノリの塊。

でも、全くいやに感じなかったのです。


ノリというのは、しばしば暴走するし、全く結論づけにならないところが、そんな好きじゃなかったのですが、今回は、みんなワーッと話し合うのではなく、お互い「しっくり!」がすぐに出て、「それいいね!」で同意してそのまま決まったことが肯定的に感じた理由なのかなと思います。


自分の価値観的に、「ノリ」=「浅慮」という意識を持っていただけに、面白い発見でした。

いろいろ話せる仲間っていいな

それと、やっぱり「話せる仲間っていいな」と思えたことが、前回参加した時以上に感じました。

以前、サザンの「みんなのうた」をもとにこんなことを書いたことがある。

「みんな」教が日本人だし、一方でその同調圧力が自由を奪ってるから、「みんな」が大嫌いだと言う人が増えてきている。ボクも、嫌いな方ではあるだろう。(嫌われたくないので結局埋没させるんだけども)
でもね、「みんな」も悪くないってこともあって。それがサザンの「みんなのうた」に込められてる。
多分、僕らが好きな「みんな」というのは、まさに「一体感」であり、「みんなのうた」に書かれている

みんなで声合わせ 飛んでゆけ
やがて雲の切れ間から
風のハーモニー

という感覚なんだと思う。
先述したような、「無選別性」かつ「自分が参加出来ている感覚」。
誰もが参加出来て、誰もが同じ向きを向いて、前に進む、楽しむ。

多分、この「仲間っていいな」というのは、「普通ってなんだ?」を探求する仲間がいる、作品を作ろうという意思がそろっている仲間がいる、そして他愛もなく話しつつも前を向いている仲間がいるからあるんだろうなと感じました。

これからもよろしくお願いします、とかしこまりつつも、「たくさん話してたくさん考えてよいもの作りたいな」という改まった気持ちができて、なんか前向きに勝手になった気がしました。


昨日は、自分の先入観があることに気が付く1日、今日はそこから一緒に前を向いている人たちと話せた1日だったと思います。

今まで、ほぼ肯定できる形では感じたことがなかった「ノリ(勢い)も悪くない」「いろいろ話せる仲間っていいな」ということをこんなに前向きになるとは思わなかった、そんな記念日にもなりそうです。

おまけ:座右の銘

最後は、自己紹介の一幕から。

僕の「座右の銘」は、人に楽しんでもらえること、チャンスメイキングをする事だと、つい書いてしまったものです。でも、野球分からない人に言ってもなあ。

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