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063.読書日記/地方の食文化の面白さと郷土料理の衰退

予約の本がなかなか来なくて、図書館をぶらぶらしていて、民俗学コーナーで「ケンミンSHOW」のレシピ本を見つけた。毎週見ているわけではないが、郷土料理を紹介するコーナーが好きだ。
大勢の親戚が集まって、テーブルをいくつも並べて、トシヨリから幼児まで、その家の主婦が作った郷土料理に舌鼓を打つアレである。TVが入っているからか、みなニコニコ「美味しい、美味しい」と言いながらたくさん食べる。女ばかり料理してる、とか、あんな食べ方では糖尿病になる、といった感想は封印して楽しく見る。
少し脱線するが、香取慎吾さんと大下容子さんが司会をしていた「スマステ」という番組で、結婚式での人気ウエディングソング特集も好きであった。子どもの頃から結婚式なんてバカみたい、自分は絶対にやりたくないと思ってきたが、他人の結婚式は面白く、酔っ払い過ぎのオジサンや号泣するオトーサンとか、お料理や参加者の服装、式次第など民俗学的面白さがある。

同じ書架から「おにぎりの文化史」も借りてみた。遺跡から様々なおにぎりが出土するそうで、墓の埋葬品に銭(お金)が入ったおにぎりが見つかったこともあったとか。70年代以降のコンビニおにぎりの影響で多様であったおにぎりも均質化しているそうである。

この二冊の本を読んで、そういえば地方の食文化の本を持っていたな、と思い出した。


一人暮らしをするようになってから20年以上たち、まぁ一人にしてはマメに自炊している方じゃないかなと思うんですが、子どもの頃によく食べていたのにめっきり食べなくなったものがある。喜んで食べていたわけではないのに妙に懐かしかったりして、自分が子どもの頃に何を食べていたのかの資料になる本が読みたくなって本屋さんに行ったのだ。
たまたま「聞き書 兵庫の食事」(農文教 1992年)を見つけて購入。兵庫には住んだことがないけれど、神戸にはよく遊びに行っていたし、淀川長治さんが載っていたり、「細雪」を愛読していたこともあり、とてもとても面白く読んだ。その「聞き書」の抜粋版である「伝承写真館 日本の食文化⑧近畿」(農文教 2006年)も見つけて購入。「聞き書」の大阪と京都版も後々に買うつもりでいたのがコロナ禍に突入し、その後節約生活に入り現在に至る。図書館で探さねば。


両親とも京都で、私は京都生まれで大阪育ちであるので、京都の食文化の影響を大きく受けている気がする。春先はタケノコばかり食べていた記憶。京都のタケノコ山でたんまり収穫して、皮を剥いて、家で一番大きな鍋で下茹でし、若竹煮、土佐煮、筍ごはん、木の芽和えなど、しばらくタケノコばかり食べることになる。近所のスーパーにも朝堀りタケノコが小袋に入った米糠付きで売られているが、一つ1,000円ほどもするし茹でる手間とゴミを考えると手が出ない。先日入ったお蕎麦屋さんのメニューにあったので、思わず頼んだ。

お店で頼むと、お上品。

気温が上がってくると、ハモが食べたくなる。鱧の湯引き、鱧の天ぷら、鱧の皮の入ったきゅうりもみは夏の間よく食卓に登った。鱧の骨切りが自動化(?)されたとかで、手に入りやすくなったので、これは今でもよく食べるが、安物は臭みがあったりするので、よく吟味してそこそこの値段のものを買わねばならない。

好物というわけではないのに、夏に無性に食べたくなる


好物なのに作らないものといえば、「鯛の子とふきの炊いたん」とか「ぐじ(甘鯛)の一夜干しの唐揚げ」「せこガニと大根の味噌汁」「茶碗蒸し」「蛤の吸い物」などなど。
面倒だとか値段が高くなったとか一人分作るのがアレだとか理由は色々。

好きでないのに懐かしいのは「わけぎのぬた」「身欠きニシンとナスの煮物」「メバルの煮付け」「キスの浜焼きと焼き豆腐の煮物」「冬瓜の煮物」「鮎の塩焼き」「なまり節の煮物」などなど。川魚やメザシ的なものもめっきり食べなくなった。

祖父はスズメの焼き鳥やモロコの甘露煮などで晩酌していた(私は食べたことない)。スズメは稲穂を食べるので、米作りの敵、稲荷の敵であるので食べて退治ということらしい。モロコは琵琶湖でとれる小魚で甘露煮にしたものを錦市場で買っていた。我々は「錦市場」と言わずに単に「錦(にしき)」と呼んで普通に買い物していたが、今はもう外国人観光客ばかりになっているとか。
琵琶湖にはよく遊びに行ったが、「鮒寿司」を初めて食べたのは渋谷ヒカリエが開業してすぐの頃、郷土料理レストランの「滋賀定食」でであった。郷土料理の衰退、極まれり、という感じ。

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