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おじいちゃんの話を書いたら母の話になった

わたしが絵を描き始めたきっかけは、おそらく祖父の影響によるものが大きかったと思う。今年99歳になった祖父は今はもう絵を描いていない。体力も気力も必要だから、自然とフェードアウトしていった感じだ。

おじいちゃんは元々国語の教員をしていた。ちっちゃなアトリエが実家の横に、ちょこんとくっつく様に作られていて、祖父はよくそこで絵を描いた。おじいちゃんだけが入れるアトリエという訳ではなかったし、わたしも兄弟も時々その絵具の匂いがいっぱいのアトリエに遊びに行った。アトリエで出来上がる絵は風景画が多かったが、おばあちゃん(おじいちゃんの奥さん)私の母、私、妹の人物画も描いた。絵具を何度も塗り重ねて行く油絵だ。私はモネの絵が好きだ。境界線がグラデーションになり、日の光が穏やかに降り注ぐ絵が多い。おじいちゃんの絵は、もう少し全体的に濃くて、力強い感じがする。近くで眺めると絵具の盛り上がっている様子や、塗り重ねられた様子がわかる。

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絵に囲まれて過ごす時間も長くて、私にはとても絵が身近なものだった。

おじいちゃんの絵を集めたら、結構な数になる。何年か前は、知人や親戚に好きな絵を持っていきなさいと、これまで描いた絵を集めて、そう勧めていた。おじいちゃんは絵を売ったことはなかった。


母や父という立場では、自分の子どもに期待やら責任や心配をかける気持ちがあるから、孫というのはおじいちゃんおばあちゃんにとっても、本人にとってもいいポジショニングだ。

わたしの実家は半二世帯住宅みたいな造りで、玄関と風呂は共有、それ以外は別々になっていて、一階におじいちゃんおばあちゃんが住んでた。ちっちゃい時には、2人が食べる予定の夜ご飯のおかずの、餃子やししゃもなんかを食べさせてもらっていた。(その後ちゃんと2階で母の作る夜ご飯を食べるのだけれど。)わたしの兄弟は3人いるから、おじいちゃんおばあちゃんは、それを×3やっていたわけだ。2人からは怒られた記憶が全くない。かわいい可愛いと言われて甘やかされて育った。この時間も好きだった。

おじいちゃんは今、わたしの背丈よりだいぶちっちゃくなった。兄弟の区別がつかなくてわたしのことを妹や、いとこと間違える。時々過去にタイムリープしている様子だ。

母が2人を介護している。父も一緒に。うちにケアマネさんがきて、デイサービスで老人ホームに行くようになって、2回目の誕生日だった。母のすごいところは、2人の気持ちを配慮するところだった。きちんとご飯を食べて欲しいと栄養を考えてご飯を作った。でも介護は、ましてや自分の血の繋がらない2人の介護は想像以上に大変なのだ。

ちょうどその頃、ドラマ、わたしの家政婦なぎささんを見ていた。こりゃうちの母親世代じゃなかなか考えてもみないことだなぁと。でも、なんでも1人でやらなきゃいけない決まりはない。親になっても、得意不得意はあるし、自分の時間だってちゃんと取って欲しい。だからわたしは母になぎささんのドラマを勧めて、ついでに、ダスキンのホームシッターさんなんてどう?と勧めた。なんでも自分でやらなくていい。得意なことをしている人に頼めばいい。今都内で働いていると、日々新しいサービスが出来上がり、(消えて行くものもあるけれど)どんどんサービスは、細やかで、細分化されてきた様に思う。誰かのために作られたサービスなのだから、そこにちゃんと対価を払って、自分の時間を作って欲しいと思いを込めて。

ps:

おじいちゃんに私の描いた絵を渡してみようかな。

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