見出し画像

20201122 富山、サウナ、雑感

踊り終わって朝、そのまま学校、学校をきっぱり抜けて東京駅。

画像6

深川めしを買って乗り込み、富山へ…道中は普通に車窓見る暇もなくて残念。ばちばち作業をやらないかん。ときどき見やると、もうだいぶん紅葉は終わりつつあるっぽい。秋の盛りの双葉にも行きたかったなあ。

間違って金沢方向左側、日本海が見えない側に座ってしまったけど、そのぶん柵に邪魔されない広い視界で良い。秋の空気をかっとんでくのが良い。

画像4

画像5

やっぱり期待通り、越後山脈を抜け切ると一気に雨天。すごいことだな。

富山で下車すると、着こみすぎたかなと東京では思っていたコートがちょうどいいくらいの冷え込み。

今年度最初の一桁気温を体感したらしい。

古本を買ったり宿で文章系の作業負えたり寿司や探したりして過ごした。路面電車がひっきりなしに行きかうのが利便性がある。ただ3連休も終わりということでかなりひっそりしている。

コンクリ建物の間から、ふと別院の塔が覗く、異界っぽい。

画像2

画像3

買った本。

画像1

水上さんの同人誌で触れられていたからぴんときて手にした。

あと あに部本拠の富山level3も見学、いつかここ入れたらね…

画像10

飯は寿司屋を探した挙げ句全然開いてなくて富山駅の8番を食べに行く。8時、もう静まり返ってじんじん冷える街を歩く。ラーメンと餃子とチャーハンまで食べた!

画像7

飯のあと、路面電車に乗って、帰って風呂。肌や汗の全部が気持ちいい。サウナにしっかり入ってしっかり水風呂してしっかり夜風をあびると、びりびり指先からわけわからん快感が湧いてくるのに驚いた。ととのいを一瞬体験しそうになった。

画像8

ぼうっと考えていたのは結局前の脳死の話題だなあ。意識がなくなるからすなわち死に相当する、というところに少しでも引っ掛かりを覚えてしまった以上、肉親がそのような脳死状態になったとしても、すぐ臓器提供など決断できないんだろうな。

たとえばこの湯と夜風のすずしさをひたすら嬉しく気持ちよく感じるのって、意識による部分少ないんではないか。もし脳が動かなくても、この環境に肉体があれば、このうれしさは感じ取れるんではないか(カエルの足の電気実験的な意味ではなく)。直感としてそう感じる。

わたしがいま大切にしようとこころがけつつあるところの、ある物事への直感とか感性、手触りみたいな者たちの多くが、その実意識の働きにはあまり拠っていないのではないかと思うとき、では意識の有無だけで生死判定する基準に引っ掛かりを感じてしまうのはやむを得ないのかも。

体系だって考える捉える能力を失っても、人に言語などで出力する能力を失っても、つまり意識を失っても、こういう管制が残っているとするなら…ちょっと死とは宣言したくないなという気持ちがある。

かといって昏睡状態でも私自身生きていた以下というと答えはおそらくノーなんだ。でもこのノーって答え自体意識を持つ現時点で出した答えだから、うーん…

VTuberはその点意識の生死が肉体の生死に直結している在り方のような気がする。いくら3D2Dモデルが可動でも、魂の声が卒業してしまったらそれは確実に死なんだ。

思考実験として、「魂」が人知れず失われて、でそのことをファンも誰も知らなかったとするとどうなるだろう。おそらく死なないんだ。死ぬとするなら、その魂が失われたことが第三者によって公表されたその瞬間であるだろう。

VTuberは事故死できない、自殺か他殺しかありえない、という直感が強められていく。だからわれわれの死生観にどう影響するだろう、というとこまでは考えていないけれど。

…という感じに日記メモの筆が進むのが、ホテルの部屋の嬉しさだ。キーボード叩きながらアニメを見て寝る。

画像9


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?