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島原天草をめぐる冒険#01島原天草の乱 01はじめに──このnoteに書く意味ついて

 「島原天草の乱」をご存知でしょうか。
 寛永14年、西暦で言うと1637年、現在の長崎県島原半島と熊本県天草地方で発生した大規模な農民一揆であり、キリシタン宗門戦争とも言われています。
(これを「宗教戦争」と見なすか、近世農民一揆の範疇とするかについては、さまざまな見解があります。「島原天草一揆」とも呼ばれます。)
 
 島原天草の乱は、島原と天草における「地域史」または「郷土史」でありながら、当時の江戸幕府を揺るがせた一大事件であり、「日本史」の重大事項でもあります。
 ひいては、「世界史」においてもそうです。ポルトガルやスペインがキリスト教カトリック派を世界宗教化しようとする動きと、それに続いてイギリスやオランダがそれぞれ「東インド会社」を設立しては経済圏を拡大しようとする動きとが、島原天草の乱と複雑に絡み合い、連動していました。
 
 これらのことから、島原と天草の地域史・郷土史を、世界史の観点で見ていくと非常に面白いのではないか。なぜならば、島原と天草は世界史の一大事件の舞台であったと考えると、単なる一地方という認識から一躍「世界の中心」に躍り出るからです。
 もっとも、この世界には「世界の中心」なんて場所はなく、それがあると錯覚するのは自己中心史観でしかないのですが。それを踏まえた上で、あえて、この場所は当時その瞬間は世界史の渦中であったのだと考えることで歴史を体感した気になるのも、必要ではないでしょうか。
 
 島原天草の郷土史を、世界史観点で眺めてみれば面白い。これを皆さんに体感していただきたいと思って、開始したのがYouTubeチャンネル「島原天草をめぐる冒険」です。
 その第一弾として「島原天草の乱(一揆)」を取り上げ、先日(2022年5月24日)1本目の動画を投稿しました。
 この動画に連動して、ここnoteという場においても、動画に関連した話題を書いていく次第です。
 
 ところで、このnotoに連載する意味は何なのか、皆様にあらかじめお示ししておかないといけないでしょう。
 「動画をYouTubeに上げました、観てください!」などと書こうものなら、このnoteという場には相応しくない目障りな広告として、誰も読まなくなるでしょう。
 却って、「そんなモン、観るものか!」と反感を催すのがオチでしょう。
 そうではなくて、私がここに連載する意味があると思っているのは、以下の通りです。
 

 1 動画の「情報」には限界があり、文章も必要だから

 
 動画ではビジュアルな「情報」を伝達することができますので、文章よりも多くの「情報」をお届けすることができます。
 しかしながら、この場合の「情報」とは、私(動画制作者)が伝えたいと思っている情報とは、性質が異なるものです。
 私が動画を製作したのは、第一に目で見て楽しんでもらいたい、という思いがあります。様々な土地の映像を見てその地を旅した気になってもらいたい、ひいては旅する気を起こしてもらいたい、なかんずく島原・天草へ、といった下心もあります。
 その一方で、動画内で説明を行うのに冗長では飽きられます。そこで簡潔な説明が求められますが、当然ながら物事というのは一言二言で説明できるほど単純ではありません。捕捉しようと字幕テロップで画面を埋めてしまうと、景色が見えなくなります。これでは旅の気分が味わえないでしょうし、もはや動画である必要がありません。それはスライドショーの資料として公開した方がよいかもしれません。
 
 情報の伝達手段として、動画だけでは限界があるのです。逆に言うと、私は動画だけですべてを説明しようとする態度に疑問を持っています。
 動画に付随するテキストが必要だと思っています。そのテキストを公開する場として、私はnoteを選びました。
 

 2 動画を見る暇がない人向けに


 動画を視聴するには、もの凄く時間を取られます。最近、映画を倍速で見る人が多いと話題になっていますが、何を今更、もう10年以上前からそうしているよ、という方もおられましょう。
 私も、同じ思いを抱いています。動画を視聴するよりも、むしろ文章を読むほうが早いです。動画のナレーションを書き出ししたテキストの方がありがたい、という方は、一定数はおられるのではないかと推察します。いかがでしょうか。
 
 それでも私が投稿した1本目の動画は3分32秒であり、かなり短くまとめたつもりです。3分くらいなら見ようかなと思ってもらえるように、切り詰めました。
 しかしながら、世の中はTiktokが隆盛なのを見ればわかる通り、今のネット動画は1分弱が主流なのです。3分でも長いのです。
 ならば、今回の動画も、30秒くらいにまとめればよいのでしょうか。無理です。できません。「島原天草の乱は1637年」と、年号だけお伝えするのが関の山です。もしかすると受験生には需要があるかもしれませんが、果たして動画として面白いのでしょうか。極めて厳しい時間制約では私が伝えたい情報が全然伝えられないのは、言うまでもありません。
 
 ある意味、このnotoさえ読んでいただければ、私が伝えたいことの大体は拾えるかと思っています。3分の動画さえ見るのが億劫な方は、ぜひこの連載だけでもサーッと斜め読みしていただけると幸甚です。
 なお、今回は動画の内容についてまでは書きませんでした、次回へ持ち越したいと思います。
 

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