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『PLAY TOUR』が証明した事実

第2章 再考・『PLAY TOUR』


『PLAY TOUR』が証明した事実

 

 Apple Music、Spotify など配信アプリの普及により、今や音楽は、曲単位で消費されることが一般的となった。
コンセプトアルバムである『平凡』、そして楽曲を連ねることでひとつのストーリーを構成した『PLAY TOUR』も、そのままレコードに収録されればコンセプトアルバムであり、ドレスコーズの音楽は、現代でのポップスの聴かれ方とは、真逆の傾向にあるのではないだろうか。

 「演劇」では「第四の幕」または「透明な幕」と呼ばれる客席と舞台との間の見えない境界面があることが暗黙のルールであり、観客は舞台を傍観することしか許されない。そういった意味では、『平凡』の “meme” TOUR は、「演劇」的であったと言える。“meme” TOURをふりかえると、平凡さん率いるファンクギャングと我々観客とは、全編を通して完全に乖離されており、「第四の幕」あるいは「透明な幕」越しにステージを観ているようだった。
 しかし『PLAYTOUR』で志磨は、その「演劇」の暗黙のルールを、「ロックンロール」のライブの魅力を保ったままステージに取り入れたのだ。「演劇」のように客席とステージの間に境界を感じ、別次元の世界を傍観しているような場面もあったが、楽曲によっては、志磨が観客ひとりの手を取って歌うシーンや、観客に対しセリフを語りかけるように歌うような、「ロックンロール」におけるオーディエンスとの、一対一の関係も観ることができた。
 『PLAY TOUR』で志磨は「透明の幕」を自由に操り、「演劇」と「ロックンロール」の両方の魅力を兼ね備えた、ハイブリッドなステージを観せたのだ。そこには、志磨のロックンローラーとしての意地も見えた。

 過去のレパートリーで音楽劇を構成できるバンド、そして実際にそれをツアーとして実現させるバンドは、現在のところドレスコーズ以外に存在しない。
 「没個性」を歌った『平凡』、そして『三文オペラ』を経て、ドレスコーズは、「≪エゴのテンプレート≫問題」から脱却し、結果として唯一無二の活動をしている。
 そして、新たなストーリーをつむぐことによって、過去の楽曲がまったく違う意味や印象をもたれたこと。これは、「音楽が消費される問題」を否定する。

 『三文オペラ』上演後に志磨が自ら出した、「芸術は残る」という『平凡』の解答(ドレスコーズマガジン2017年2月16日配信51号特集 「『三文オペラ』終幕」)は、『PLAY TOUR』の成功により、証明されたのだ。
 

 ドレスコーズによって発明された前代未聞の新しいロックンロールのステージ『PLAY TOUR』は、志磨のキャリアにおいて過去最高のすばらしいツアーであったことは、長年志磨の活動を観察してきた本研究室として明言できる。


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