おばあちゃんに会いに
大好きなおばあちゃんが亡くなったのは、今年の私の誕生日の3日後の朝だった。
昔、伯父から高校の入学祝いにもらった大事な時計が誕生日の翌日から止まりかけており、嫌な予感がしていた。
年始に母の箪笥からもらってきたおばあちゃんの手編みのセーターを手洗いしながら、これが干し終わったら、母に様子を聞いてみようと思っていた。
そんな朝の当然の知らせ。
それからの日々は半年ほどあまり覚えていない。
ようやくおばあちゃんが眠るお墓へ行ってみようと思った。
もう7月になっていた。
昨年の秋に緊急搬送された時には、面会が叶わず、扉の向こうには生きていて温かい手のおばあちゃんがいるのに、会わせてもらえなかった。
ずっと悔やんでいた。
ここのお墓には、祖父、伯父が眠っている。
もう20年近くお墓参りをするのは、私の役目みたいになっていた。
大切な場所。
ここにおばあちゃんがいるなんて信じられなかった。
生きている時に会いに行ったことをあの看護師さんはちゃんと伝えてくれたのだろうか。
そんな想いがぐるぐるして、泣いた。
それから気持ちの整理がつかないまま、いつもの焼きまんじゅうを買おうと車を走らせる。
いつものにおいと焼きまんじゅうの温かさにほっとする。
もう泣かないようにしようと思った。
きっと私の考えることなんて、おばあちゃんはいつもお見通しなのだ。
それが、生きていてもそうでなくても。
帰宅する道すがら、懐かしい自動販売機が集まる店に寄り道をしてみる。
昔はこんな店がたくさんあり、実家からおばあちゃん家まで行く間に家族でよく寄った。
人生には避けて通れない辛いことが起こる。
お世話になっている方がもっと写真をたくさん撮ってと連絡をくれた。
写真を撮ると心の整理がされて落ち着く。
この日の写真はどれも好きな色。
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