見出し画像

種子島に移住することで、あえて節目をつける

昨日は、種子島に移住するための準備に家族で奔走した1日でした。我が家では2週間に1日、家族4人で図書館で大量に本を借りてくる習慣があるのですが、今回は返すだけ。図書館に着いたら、桜が満開でした。

種子島に1年間移住することを決めた理由と、準備しながら気付いたことを記していきます。


理由① 直感:「宇宙留学」という響きへの憧れ

元々、妻の知り合いがこの「宇宙留学」という、南種子町独自の山村留学制度でお子さんを里親留学させていらしたので、夫婦で「やってみたいね」と話をしていましたが、家族留学(親も一緒)があることを調べていて知りました。

そして時代の巡り合わせか、突然リモートワークが夫婦共々定着し、「今なら!」と思い切って募集し、幸運にも受け入れていただけることとなりました。

「宇宙」って、文字通り無限の魅力とロマンがありますよね。夫婦揃って後先考えず直感で動く傾向が強く、その魅力には抗えませんでした!

理由② 我が子たちの教育、自身の教育

もちろん、そもそも山村留学で、子どもたち(来年度、小4と年長さん)が主役です。子どもたちには、都会(といっても埼玉ですが)の暮らし、人間関係、自然環境とは違うものから、これからの人生の糧になるものをたくさん得てもらえたらと願っています。

いまの子は、塾にいつ通うか、受験の準備に小さい頃から向き合ってますよね。私も妻も、小中高公立であまり塾には通っていませんでした。塾通いだけでなく、広く人間として体験し学べる機会を渡してあげたいと常々考えていました。

そして、大人である私自身、44歳です。人生半ばの年齢で、変化を心地悪く感じるようになり、生活リズムも価値観も固定化しつつあるのを感じていました。自宅とオフィスだけでなく、新たな生活環境で、初めての潮風にあたる生活で、安納芋に囲まれた環境で、人としての「リスキリング」をしてきます。


準備しながら気付いたこと
:1年後に帰ってきたらどう感じるんだろう

1年限定の移住でもあり、埼玉の自宅はそのまま。なので、荷物も新生活に必要な最小限しか種子島に送りません(といってもダンボール15箱くらい)。

子どもたちの服を仕分けてダンボールに詰めながら思いました。「長男のこの服、取っておいても一年後には小さくて着られなくなってるよな」「この絵本、来年小学生になる長女ちゃんは興味なくなってるかもな」

「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という言い回しが三国志演義に出てきますが、1年後の子どもたちを自然と想像しました。

日々流れの中で生活していると、子どもの成長になかなか気付かないものですが、今回のように、生活環境を変えるなどして、自ら節目を創って棚卸しすることで、感謝の気持ちと成長実感が得られるのかもしれません。

ということで、本日、私以外の家族は種子島入りしました(私は仕事の関係で今週末に移動)。校長先生やPTA会長から空港で大歓迎を受けて、ワクワク感が高まったのでした。

今日、早速道に迷った妻から送られてきた写真

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?