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【鎌倉殿の13人】伊豆の国⑤北条氏邸跡&政子産湯の井戸【聖地巡礼】

守山ハイキングを終えて平地に戻ってきました。結構足のダメージ大きかったです。

守山登山口真横には北条氏邸跡があります。以前は大規模な発掘調査が行われたようですが、今は更地になり草が生えています。案内のクリアパネルを通して当時の様子を知ることができます。


山側には円成寺の跡があり、池と小さな御堂があったのではないかと考えられています。
北条氏邸(時政邸)の跡地。大河ドラマの館のイメージよりもこじんまりとしていて、農豪の家のようです。時政は子だくさんなので、にぎやかな一家だったのかなぁ。
更地においてあるコーンと透明パネルの印を合わせると、当時どこに建物があったのか分かるようになっています。なるほど!!この解説の仕方面白いです!
こちらは円成寺の跡の様子。14代執権の泰時の母が立てたもののようですね。こんなに小さなところから始まった北条氏が日本の政治を動かすまでになる…すごいことですよね。
歩く道には砂利が敷かれています。北条氏がこの地で暮らしていた時には、権力争いなど全くない山を背にしたのどかな風景だったのではないかなぁと考えました。


北条氏は頼朝が転がりこんできたことで、否が応でも歴史の渦中に放り込まれたのか、それとも大河ドラマで宗時が言っていたように「頼朝の力を借りて坂東武者の世をつくる」という大志を抱いていたのか…

比較的穏やかな気候で山と川に囲まれたのどかな地域で育った義時が、血で血を洗う源平合戦そして謀略蔓延る政治の世界に関わっていこうと思ったのか、やはり謎のままです。
時政は大番役で京に出向いていたので、雅で華やかな京の生活に憧れたというのは何となく想像できますが、義時は何をみて何を思いながら幼少期をこの地で過ごしたのでしょう。また、どのようなバックグラウンドでのし上がっていったのでしょう。

伊藤祐親役の浅野和之さんが、大河ドラマのインタビューで「この物語は儒教が浸透する前なので、親兄弟、親戚同士の殺し合いもあった」と言っていたのがなんだかずっと引っかかっています。儒教の教えがなければ、人は親兄弟でも簡単に処分したりできるんでしょうか?

そう考えると、大河ドラマのそれぞれの登場人物の言葉ひとつひとつも意味が変わってきてしまいますよね。でも、第1話で大庭景親は伊藤祐親と北条氏で争いが起こりそうになったときに「身内通しの殺し合いはよくない」って止めに入ってくれたし、和田さんと畠山さんが伊藤祐親を捕らえに来た時も三浦義村さんが「あんな人でも祖父だから」とかばおうとしていました。


大河ドラマは本当に人間劇だし、小池栄子と新垣結衣と江口のりこが大泉洋を取り合うところはファンタジーだけど、それ以外は結構リアルなのかなぁって思います。

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