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一緒にいるということ

こんばんは😃
11月最初の週末、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

先日、公開されたばかりの「きのう何食べた?」の劇場版を見てきました。

ずっと気になっていた作品で、昨年ドラマをNetflixで一気見してどハマり。劇場版の話を聞いた時は、公開を今か今かと心待ちにしておりました。

同性愛の男性二人の日常生活を「毎日のご飯」を中心に描くこの物語。

今日は映画をみて、改めて「きのう何食べた?」という作品全体から感じたことを、自分の整理のために書き出してみました。
※若干ネタバレを含みます。




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これはホームドラマなんだ

男性同士のカップルという設定から、恋愛ものと思われがちですが、私はただただ心があったまるホームドラマだと思っています。一般的なホームドラマと同じようにストーリーから日々の流れを感じ、主役の二人を見守っているようなほっこりした気持ちにさせてくれます。ある家庭の日常、そこにある生活、それを取り巻く人々の悩みや感情の揺れ、そして小さな日々のしあわせ。誇張した恋愛劇、性的描写といったえぐさはなく、家族のこと、仕事のこと、将来のこと。誰もが悩み、共感できるような思いがそこにありました。
「主役の二人がたまたま男同士だっただけ」そう原作者が話すように、描かれるのは日々のご飯を中心とした二人のやりとり。誰のために、何を考えて作って、そして誰と食べることに意味を感じるのか。映画でも、その雰囲気は変わらず、ただただ心にじんわりと沁みてくるお話。まさしくホームドラマ。

誰かと生きていくこと

男性同士である二人は、中年で世間的にいえばかなりいい歳のおじさん。日々の幸せを感じながらも、確実に歳はとっていく。どこかそれを自覚せざるを得ない現実があって、将来を憂い、悩む姿がそこにあります。これから自分がどう生きていくかを考えたときに生まれる先の見えない不安。世代、性別を問わずふと湧き上がる靄は、晴れては消えを人生で何度も繰り返します。
でも、彼らは二人で生きていく、その未来を悩んでは選び、諦めようとしてはまた選び、かけがえのない存在になっていく様がドラマから通して描かれています。
「あなたと生きていきたい」そう思った時、振り返れば他人として生きてきた人生の方が長く、まだ知らないことも多い。それでもこの先一緒にいたいと、相手も同じように考えてくれていた時の、奇跡のような絆。その奇跡に人は未来を感じるのかもしれない。二人が笑顔で向き合う食事風景には、そんな明るさを感じました。

家族ってなんだろう

愛する人と家族になるということ。男性同士の二人は、法律上の家族にはなることはできませんが、二人で一緒に住み、生活を営むその様は家族そのもの。周囲の人々も、自然とそれを受け入れていきます。でも両親は息子が同性愛者で恋人がいる現実をなかなか受け入れることができません。
一度は受け入れてくれたかに見えた両親からの、「今年の正月は恋人を家に連れて来ないでほしい」という言葉。自分たちだけ良ければそれでいいわけではない、周囲の人を思うが故に、辛さも味合う2人。2人だけで生きていくわけでなく、その周りの人たち丸ごと家族になるというと。男性同士だからというだけではなく、互いを思うが故に模索する、パートナーと家族の形に対して生まれる葛藤はどんなカップルにも共通してあるように思います。
「誰かと一緒にいる」だけではなく、「家族になる」ということ。いろんな家族の形があるので、一概にはいえないけれど。本人同士だけでなく、自分の家族と、パートナーのお互いを思う糸が繋がった時、「家族になる」そんな気がします。

死んでほしくない

最後にこんな見出しを出すなんて、物騒ですが…
でも「一緒にいたい」と思える相手に出会えた時、次に生まれる感情はこれだった気がします。恋愛として相手を好きだった時、1番に思うことは「会いたい」「好きと言ってほしい」でした。でも、これから一緒にいたいと思う人ができた時、美味しいもの食べて、今日会ったことを話して、同じ景色を見て綺麗だねって言って。そういう時間が1秒でも長く続いてほしい、それが1番の願いになりました。そしてそう願うと同時に、失うことの怖さも強く感じるようになったんです。
昔から母は、父を送り出す際、父の姿が見えなくなるまで玄関からその後ろ姿を見つめていました。寒い日は玄関から冷たい空気が入り込んでくるのが嫌で、「なんですぐ閉めないの?」と聞いたことがあります。「これが最後になってしまっても、後悔しないように。」と母は言いました。その時すぐに意味はわからなかったけど、今見送る相手のいる私には、痛く刺さります。
この作品の二人も、いつ何があってもおかしくないことを、親の病気や死、自分の体調面から感じていきます。「簡単に”死ぬ”とか言うな」そういう主人公の言葉には、そうは言っても考えざるを得ない、失いたくない、ずっとそばにいてほしいからこそ、切り離せなくなった恐怖心が滲み出ているように感じました。どうしても私たちは永遠の存在ではなくて、いつか消えてしまうものだから。

1秒でも長く横にいて、一緒に笑っていてほしい。
どちらかではなく、二人であることに意味があるんだ。

願いと恐怖心は、セットなのかもしれません。


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エンドロールを終え、出てきた観客は皆女性ばかりでした。
お手洗いではスクリーンに映し出されていた俳優の笑顔に色めく声も。

確かに西島さん演じるシロさんの笑顔も、内野さん演じるケンジのいじらしい姿も、とても可愛らしい。

でもそれだけじゃない。それだけじゃないんだよ。

思わず出そうになった声を抑え、陽が傾きつつある街を駅に向かって歩きます。

スーパーに寄って、「何を作ろうか、今日は帰り遅いんだっけ」なんて考えながら台所に立ち、テレビを流し見しながら、帰りを待つ。こんななんてこと無い日に、思わず泣きそうになってしまいました。

あぁ、早くこの映画の感想を話したいな〜

そう思える相手がいること。

シロさんとケンジのような、何気ない日常を大事に紡いでいける人でありたい、それが私の願いなんだなと感じさせてくれた映画でした。


決して大波乱が起きるようなお話ではないけれど、もうすこし彼らの歳に近くなってからこの作品を見返して、また違った感情に出会いたい。そう思う作品は久々でした。

さて、うちの相方はこの話を理解してくれるかな?

まぁ、理解してくれなくても話すんですけどね。笑


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