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藝大 再起動!

高い学費!?

 受験生を見ているので各音楽大学の「入試情報」のページは細かく目を通している。
 最近驚いたことは、国立であるにもかかわらず東京芸術大学の初年度の納付金が恐ろしく高くなっていること。
 なんと、初年度122万円超え!!!

 入学金が33万円。授業料が年額64万円。
これだけ足しても97万円。実質は約100万円。どういうこと!?学費の安い国立大学ではないのか??
 ちなみに、東京大学は入学金が28万円。授業料が53万円。 合計81万円。
あれれれれ???どういうこと?
 国立大学が独立行政法人化して、結局、弱者切り捨て?
     「ほら見たことか!芸術なんて必要ないんだから!!」
とお役人は結論を出しているのだろうか?
 いえいえ、お役人になる方々は、いわゆるクラシック音楽と呼ばれるモノがお好きな方が多いのです。それとも、国家公務員の序列の中では下層にある文部科学省へは受験一辺倒の新興勢力高等学校からの進学者が占め、文化などに対する見識がゼロなのでしょうか?

 さらに藝大では、音楽振興会会費8万円+同声会会費6万円+キャンパス環境整備支援会会費10万円と、何だか分からない会費が徴収されています。
 私立の中で比較的お安い国立音楽大学(くにたち)は1年次の総額124万円です。なんと、2万円しか違いがありません。施設費25万円とかも入ってこの価格です!(ジャパネット風) 
 いまから数十年前、ひとりあたり年間60万円国から援助が出ているという話をお偉い教授から当時聞いたことがあります。(だからしっかり勉強しなさい、と)恐らく、今だと倍くらいは出ているのだと思いますが・・・。

 普通の大学では開講の最低人数が決まっていて、定員の1/3とかを切ると閉講になります。おおよそ十数名で閉講です。ところが、音楽大学の場合、基本的に個人レッスンなので1名でも開講されます。実際、音楽史系の授業を1名で受けたこともありますし、勤務している音大でも1名だけのために授業することは良くあります。
 今流行のコスパという点では国から見るとまったくいけてない大学です。

藝大は財政難?

 そして、ついにこんな記事を見つけました。
なんと、Yahoo!ニュースでも上位に表示されてしまっています。

 考えれば、今年度(2022年度)から学長が、音楽学部出身のヴァイオリニスト澤和樹先生から、美術出身の著名な日比野克彦先生にバトンタッチされました。その途端にこれです。

日比野克彦新学長

 記事を書かれたライターは状況をよく理解していないのでしょう。
誰かからの伝聞で書いているので、実情を知らず、明瞭ではない。 

 練習室のピアノはアップライトです。恐らく、かなりの年期ものです。
記事から推測して、弦楽器のレッスン室前にある練習室のピアノを撤去したのだと思います。まあ、弦楽器の方々にとってはピアノは不要なのです。記事にあるのとは違い、その場所で副科ピアノの練習する人はひとりもいません。(直前をのぞいて)今なら、ちょっとお金出せば簡単なキーボードが買える時代ですから。ちなみに、大きなコントラバスのレッスン室はそこではありません。なので、コントラバスが理由にもなりません。
 単に、そのピアノは弾ける状態で無くなってきたのだと思います。中古のピアノ2台売ったところでいくらになると考えているのでしょうか?藝大の程、古く使い込んだ楽器だと、もう中古品として使うことはできず、逆に撤去と処分費用が取られます。
 ちなみに、学内には使われていない外国製の高価なグランドピアノが廊下の隅っこに布が被されて放置されています。

 今では契約形態が変わったのかも知れませんが、またまた数十年前には調律を専門とする方がいました。恐らく、現在は外注に出したので、人をひとり雇うよりも「台数」で支払いが起こるので、むしろ高くついていののかも知れません。
 そして、記事は「藝大基金」への募金を望む形で閉じています。

売名行為ばかりの寄付

 かつて、東京藝大が出していた賞は「安宅賞」だけでした。
元、安宅財閥で美術集取家として知られる安宅英一(1901-1994)が晩年、芸術品を集めることより芸術を創作することの大切さに気づき、私財を芸大に委託し、4年次生で優秀な学生に対して音楽・美術問わず毎年数名が受賞する超名誉な賞なのです。当時は、あとひとつくらいは賞があったと記憶していますが・・。

安宅英一氏

 現在調べてみると40を越える賞が存在しています。
「金額」も栄誉賞である安宅賞とは違い、毎月裕福に暮らせるくらいの金額を出している賞もざらに存在します。特に、音楽への出資は、受賞者を企業に招きコンサートを開き、さらに、将来コンクールなどで受賞されればとてつもない企業にとっての宣伝効果になります。なので、こんなに集まってしまったのでしょう。数は当然東京大学には負けるでしょうけど、対外に対する効果は藝大の方が絶大です。
 その金額を「藝大基金」に入金していただければ、それなりに潤うのですが、やはり、将来学生がコンクールに通って独り立ちをすれば、毎回経歴に書いてもらえます。場合によっては、末永く企業のイメージキャラクターとして役立ちもします。だから、企業は「基金」へは入金をしないのです。また、基金となると法人の想定される一口は奨学金より遙かに高額になります。ここでも、コスパです。当然ですよね。
 まあ、大当たりしそうな馬券だけに投資した方が大きな見返りが期待できますから。

失落した権威

 こうした根本の原因は、現代の学問に対するあり方に由来しています。
つまり、日本は失われた30年間、「競う」と言うことを放棄してきました。人々は競うことが、さも「悪」であるかのように洗脳されています。結果、幼稚園の運動会では手を繋いで横一列にゴールをすることまでになったのです。
 競わない社会は学問を遅々として進ませません。
特に音楽では、コンクールという形態で、1位、2位と順位を付けて競わせます。ところが学問と同様に音楽の世界でも、こうした競争を暗黙の内に押し出さなくなってきました。気がつけば、幼稚園の運動会と同じく、音楽大学同士が手を繋いで横並びになっています。かつてでは考えられなかった、そんなコンサートが多く開催されています。手を繋いでいるので、一人だけ前に出ることは許されません。こうして、音楽のレベルが歩みの遅い音大に引きずられる形でドンドンと後退していったのです。

 かつては音大生の誰もがコンクールを目指して、日々切磋琢磨していました。残念なことに、その土俵に上がれない演奏者(音大)も出てきます。コンクールにも定員があるので仕方ないことです。その上澄みだけが、かつての「NHK毎日コンクール」(現、日本音楽コンクール)に登場していたのです。
 しかし、気がつくと抜け駆けしていた私立音大が独走しているのです。
そんなことが起きても、まだ藝大は、所在地である台東区への恩を返すコンサート(恩あったか?)や慰問など「社会貢献」の御旗の下、邁進しているのです。

青田刈りへの対抗策は?

 さらに、私大は青田刈りがいくらでもできるし、著名な音楽家、それこそブーニンでも先生に仕立てることができます。藝大には機能的にそれができません。
 あわてて藝大も「早期教育プロジェクト」を推進させましたが、中身は公開講座のようなもので、継続性が必要な早期教育プロジェクトにはほど遠いものです。
 それに対して、たとえば、昭和音大に付属する「ピアノ・アート・アカデミー」では、小学2年生からレッスンを開始します。つまり、この時点で既に全国から可能性のある子をピックアップしているのです。講師には、海外のコンクールで実際に審査をするピアニストを招きます。そして16歳までに何かしらのコンクールの受賞歴を付けさせ、その経歴で大きなコンクールを受けさせる道筋が確立しています。

 大きな国際コンクールに出場するためには、(認定された)国内コンクールなどで入賞している必要があります。でないと、「ショパンコンクール」をみんな受け、一度に数万人が参加することになりかねません。大学入ってからその経歴をつけるのではタイムリミットまで少なすぎるのです。なので、16歳までに「青少年・・」とか冠のあるコンクールに入賞させるのです。つまり、中学卒業までに。そうすれば、16歳になった瞬間、本物の大人のコンクールの参加資格がすでにできます。

ショパンコンクール会場

 なんといっても、「ショパンコンクール」はオリンピックより開催幅の広い5年に1度ですから。最近、参加年限を広げましたが、それでも普通のピアニストにとっては2回くらいしかチャンスはありません。そして、その参加資格を取るための前哨戦が『シドニー国際ピアノコンクール』であったり『浜松国際ピアノコンクール』であったりします。

 こうした仕組みに対して、現在の藝大としての機構は全く硬直して機能していません。「国立ですから・・」との言い分に、音楽の早期教育で必要なものをまったく理解していないのです。それに対しフランスなどでは、率先して国家が国策として芸術を伸ばすために国立機関へ大きな助成をしています。何しろあちらは「パリ国立音楽院」ですから、当然、国家が自国の文化産業として力を入れています。7歳から予科もスタートします。
 そして、優秀な逸材は、大学入学後にすぐに海外のそうした音楽院に渡ってしまいます。「頭脳流出」ならぬ「感性流出」です。

大学進学方式がさらに拍車をかける

 大学への進学方法もここ数年で大きく改革されました。
どの大学も推薦枠を多く用意して、事前に学生を確保していきます。なので、かつてとは違い、勉強しなくても高校の推薦があれば何とか望みの大学に入れます。これは低いレベルの大学の話しではなくて、早慶上智レベルでも今では普通に行われています。ある程度人員を確保した後で一般入試が開始され、そこでは「若干名」の定員におびただしい数の受験生が殺到します。その数少ないイス取りゲームを実施した結果、「あんなに優秀な子を取ることができなかった・・・」と大学教員は常に嘆いています。
 
 それと同時に、高等学校でも、かつてのように塾に通い、予備校に通いと学力向上へは、もはや誰も食指が伸びないのです。お行儀良くしていれば、高校の先生が良い大学の推薦を出してくれます。誰をも追い抜く高い学力など、もはや必要が無くなっているのです。
 そして、高等学校の進路指導の先生も、有名大学へ生徒を進学させ進路実績を作るため(ほぼ自分のためだけど)、音楽大学などへは進学させません。「君なら、○○大学にいけるから」・・・「将来のこと、親と話し合ってみた?」と、青春という熱い想いに進もうとする志士達を、実績作りのために無理に一般大学に進学させるのです。もう、音大進学などは、就職もできないことを理解できない「人間でないもの」の集まりのごとくの言われようです。
 頭脳明晰な生徒は共通してピアノが弾け、案外と音楽も優秀だったりもします。その逆も成り立ちます。
 藝大などはかつて、都立や関東近県の一流校出身者や全国の都道府県でナンバー1校の出身者がゴロゴロいました。演奏コースでもですよ!!こうした予備軍が、現在は進路指導の先生の将来を案じた温かい指導のお陰で、有名大学や医者の道に進んでしまっているのです。音大卒の将来は色あせたものだと、見せられているのです。

藝大の存在意義

 藝大が(音楽学部しか分かりませんが)再起するためには、もう一度、コンクールを総なめにするようなトップを目指す思考を大学の根幹に据えるべきです。

 現在の藝大の教育目標の3項目目には、
「心豊かな活力ある社会の形成にとって芸術のもつ重要性への理解を促す活動や、市民が芸術に親しむ機会の創出に努め、芸術をもって社会に貢献する。」とあります。
 それは、国立芸術大学の雄である東京藝大のする事ではありません

 簡単に言い直せば、単なる音大卒ピアニストより、「○○コンクール1位」の方が聞いてて納得感があるのです。たとえ、聞き手が本当の芸術などが分からなくても。もっと、大きく言えば、国内コンクール1位より「ショパンコンクール第2位」の方が、ずっとずっと格は上です。
 つまり、つべこべ言う前に、国内コンクールや海外の著名なコンクールで上位に入ることが結果的に、「芸術を楽しむ機会を一般の人に対して与える」し、結果、「社会貢献」になるのです。さらには、クラシック音楽の愛好者が増え、そうした芸術への「興味と理解が深まる」のです。

 現在の東京藝大の教官達は非常に優秀です。
その切磋琢磨していた頃に学生時代を過ごし、コンクールを目指して邁進してきた方ばかりです。
 その炎が絶えないうちに是非、意識を今一度回復して、今であれば、国際競争にも勝てるような音楽教育を学生に施すべきだと考えます。
 なぜ、それが出来ないのでしょうか?なぜ、それをしないのでしょうか?


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