【KATARIを語る①】朔に【完全主観】
KATARIを語るプロジェクト第一回目は「朔に」を完全主観で感想を述べたり考察をしていきたいと思います。
【KATARI MV】朔に【神尾晋一郎/間宮丈裕】
とりあえずまずは見てほしいです。
見てからの方が共感してもらえると思います。
「朔に」はKATARIオリジナル作品
これから紹介していく作品は詩を純文学作品から引用して編纂しています。
しかしこの作品の詩は純文学作品の引用ではなく完全オリジナルです。
燦々五々の依澄アキ氏が作詞しています。
「朔に」というタイトルにふさわしく、KATARIの世界観に誘うようなしるべとなっています。
依澄氏が紡いだ詩は以下の通りです。
「語り」と「騙り」
同じ「かたり」と読む二つの漢字が出てくるのでそれぞれの意味を確認してみましょう。
あえて「語り」だけではなく「騙り」を使っているのは、扱うのが純文学だからだと推測できます。
こちらの記事で純文学とは何かというのを詳しくまとめています。
踏み込んで解説すると、大衆文学が「売り物の作品」だとすると純文学は「売り物になりづらい作品」なのだと思います。(たぶんそんなことはないのですが主観です。)
自分の思いの丈を文章にしるし、それが一つの作品として成立している感じなのではないかと思います。
純文学のテーマになりやすい人間の愛憎や本音を「かたる」。そういった意味で『語らざるべきを騙る』というふうに表現されているのではないかと考えます。
まとめ
人間の良いところも醜いところもすべてエッセンスとして入っている純文学。それを音に重ねて紡ぎ、かたる。
ただ朗読するだけでは伝わらない世界観を音と語りで表現している作品たちはとっつきにくい純文学を読んでみようと思わせてくれるきっかけであり、人間の愛憎・欲というテーマを直感で感じさせてくれるものだと思っています。
たくさんの作品が創作されていますが、まずはこの作品で純文学とはどういうものなのか感じてみてはいかがでしょうか。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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