見出し画像

「おもてなし」は本当に皆に施されるべきものなのか

「お・も・て・な・し」

東京にオリンピックを招致する際に使われたこの言葉。
2013年の流行語大賞にも選ばれており、滝川クリステルのジェスチャーを交えたプレゼンを記憶している方も多いのではないか。

ウィキペディア先生によると「おもてなし」とは心のこもった待遇のことで、顧客に対して心を込めて歓待・接待・サービスをすること、とある。
真心を持って接すること=「裏表(うらおもて)なし」から派生した、なんて説もあるようだ。

接客に携わったことのある人であれば、必ずと言っていいほど耳にする「おもてなし」という言葉。
私は現在進行形で接客業に従事しているのだが、実はこの言葉があまり好きではない。
いや、はっきり言おう。大嫌いである。

接客をしていると、いろんな人に遭遇する。
いい人または普通(特別負の感情を抱く理由がない)の人が九分九厘であるが、やはり例外は存在する。
話を全く聞かない人、とにかく大声でまくし立ててくる人、過剰要求してくる人…
例を挙げ始めるとキリがない。
一応表向きは営業スマイルを貫くのだが、どうしても心中穏やかならない。だって人間だもの。

では何故話を聞かなかったり、大声でまくし立てたり、過剰要求してくる人が後を絶たないのか。
振る舞い方の違いこそあれど、彼等の心理状態には共通点がある。
粗雑な表現をするならば「こっちは客なんだから、お前らは黙ってウチらの言うことを聞け」という心理だ。
これは「顧客=主」、「サービスの提供者=従」という横暴な潜在意識の表れに他ならない。
それなのに、彼等の振る舞いを目の前にしても「おもてなしの心を持って、お客様に接していきましょう」と日和見主義を謳うのだから、困ったものだ。
私が「おもてなし」という言葉に良い印象を抱かないのは、このフレーズに内包される隷属的なニュアンスを禁じ得ないからだ。

そもそも彼等には、「顧客」対「サービスの提供者」という関係性以前に、「人」対「人」の関係性があるという視点が欠落しているように思う。
普段ならそんなことをするはずもないのに、「客」対「店員」という構図に置き換わっただけで、時には人格を否定するような言葉を浴びせてしまうなんて、何とも愚かな話である。

昨年12月から施行された改正旅館業法では、「カスタマーハラスメント」を繰り返す(例:大声で怒鳴りつける、土下座の強要etc.)顧客の宿泊を拒否することが可能になった。
この法律が、人手不足の深刻な宿泊業界を救うための起爆剤になり得ると、私は考えている。
観光立国を掲げているはずの日本において、従来はその業界に携わる方々の心のケアが不十分だったように感じるが、この法改正によって改善の兆しを見せることを切に願っている。

「サービスの提供者」も「顧客」を選ぶことができる時代へ。
「顧客」もサービスを享受するにあたって、今よりも高いリテラシーが求められるようになる。
「顧客」と「サービスの提供者」が対等な立場で、互いに思いやり認め合うことによって、本当の意味での「おもてなし」に昇華できるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?