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「志高く」バックナンバー⑥~もう“めんどくさい”なんて言わない編🎤~

こんにちは、志高塾です。

「なんで作文を書かなくちゃいけないの?」という生徒の声を聞くことは少なくありません。「なんの意味があるんですか?」も。

今回再録した「志高く」は、それに対する一つの答えです。

Vol.192「2015年流行語大賞」(2015年2月17日)
 
オレは~、いつから~
”めんどくさい”と言い始めたの
だろうか~ ララララ~♪
オレは~、それで~
どれだけ、多くのチャンスを
逃したのだろうか~ ウォウウォ~♪
でも、お母さん、先生、みんなぁ、
安心してくれぇ~、イェイイェー♪
もう“めんどうくさい”なんて
いわないよぜぇったい~♪
もう“めんどうくさい”なんて
いわないよぜぇったい~♪

『もう”めんどくさい”なんていわない』
作詞・作曲 松蔭敬之

「2015年流行語大賞」は「もう”めんどくさい”なんていわない」に決定。ノミネートされるのは、志高塾に通う生徒が口や文字にした言葉。

中2の男の子がそれを言ったのはまだ1月のことなのだが、間違いなくこれ以上のものは出てこない。

小3が終わる3月から通ってくれているので、ほぼ丸5年になる。考える力はある。
でも、何かあればすぐに「めんどくさい」と言い、それが成長を阻んでいた。

昨年末、他の講師とのやり取りの中で、その言葉が連発されるのを聞いて、さすがにブチ切れた。もちろん、”プチ”ではない。だからと言って、怒鳴り散らしたりはしない。

翌週、次のようなことについて意見作文を書くように指示した。
「同じことをしても“めんどくさい”と言わない人と自分では何が違うのか?」
「あなたにとって、”めんどくさくない”ことは何なのか?」
「これからも”めんどくさい”と言い続けながら、どのように輝かしい未来を築き上げるか?」

結果どうなったか?まったく書けずに90分の授業終了。嫌がらせが目的では
ないので、そのテーマはそれで終わりにした。

中国在住で、週1回テレビ電話で授業を行っている小6の女の子。意見作文で、「長所はコミュニケーション力(学年が上の人や同級生のお母さんなどとも話せる力)があること、短所は、素直ではないこと(お母さんから度々そのように言われるから」と述べ、結論で、「コミュニケーション力を活かして、素直になる」といい加減なことを書いた。

とりあえずそれっぽいようにまとめてみたが、その言葉自体には何の意味もない。
どうやってそれをするのかを尋ねてももちろん答えられない。

しばらく時間を与えても、一向に前に進めなかったので、「よし、じゃあ、自分で『素直になる』と言ったからには、1週間それを実行しなさい。そして、その結果については、次回授業の日にお母さんから私にメールをして、とお願いしておいて」と伝えた。

結局メールは届かなかった。次の授業のときに、そのことを追及すると「ちゃんと伝えたのに」と返ってきた。それに対して、「お母さんのせいにするなよ。伝え方が悪いと思わなあかん」と注意した。「で、素直にできていたの?」と尋ねると、「かなり頑張ってしてたよ」と答えたので、その日はそのまま授業をし、「もう1週間、一切口答えせずに素直に『はい』と言いなさい」と期間を延長した。

その1週間後、お母様からいただいたメールには「全然素直ではありませんでした」とあった。

最初は、「なーんや、素直にしてた、というのは嘘やったんか」としか思わなかったのだが、メールをいただいてから授業をするまでの間(5時間以上はあった)に、どんどん怒りがこみ上げてきてブチ切れた。しつこいようだが、”プチ”ではない。

きっと、「素直にできなかったよ」とその子が私に伝えていたらそうはならずに「次こそはやりなさい」で終わっていただろう。

結局、その日の授業は「仮に自分でそのようにしていたと思っていてもお母さんがそう思えていなければ意味がないし、そもそも自分でもそう(素直)だと認めてくれないことぐらい分かってたやろ。最終的に俺が『1週間素直にしなさい』と決めたにせよ、元々は自分が言い出したことなんだから責任を持て。次の1週間も同じことしたら、また授業はなし」と3分ぐらい一方的に説教して授業は終わり。

さて、冒頭の彼。今年に入って、ニヤッとしながら「もう『めんどうくさい』なんて言わない」と授業中に話してくれ「いやぁ、気づくまで長かったわー」と感想を漏らしていた。その後、何週間か経って、「ついこの間、間違えて『めんどくさい』って言ってしまったわー」と笑いながら報告してくれた。

その言葉を捨てて以来、顔も朗らかで、講師とのやり取りもスムーズになり、やるべきことに集中できるようになった。

そして、中国の彼女。お母様も驚くぐらい素直に過ごせたというメールをいただき、通常授業を行った。追試では見事満点合格。

私は1週間素直にしたリバウンドでその後荒れ狂っても全然問題ないと思っている。お母様にとってはいい迷惑かも知れないが。「1週間できたから、もう1週間できるんちゃう?」という気はさらさらない。でも、1週間、無理にでもそうしたことで少なからず見えるものがある。きっと、それ以前より素直でなくなることはないはず。

1人はまったく書けず、1人は内容のある結論にならなかった。
だが、共に行動は変わった。
書き上げるのが基本だ。
ただ、作文というのは、未来の自分に生きてこそ意味がある。
それが、私が作文を教える上でのスタンスだ。
つまり、志高塾のスタンスがそうだということ。

コンクールで賞を取るような作文を書かせることが目的ではない。もちろん、上のようなスタンスで子供自身が頭と心を使って書いたものが選ばれれば、それに越したことはない。
ただ、一番大事なことが何かを間違えてはいけない。

                              松蔭俊輔

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