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社員のリレーブログ⑤📺

こんにちは、志高塾です。

社員のリレーブログ2周目、本日は三浦による文章をお届けします!

「消費者としての無知」という言葉にはっとしながら、自分自身を、ちっぽけな自分をのみこんでいる時代というものを見つめ直しました。


三浦の作文②(2023年11月10日掲載)

NHKの「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」を気に入ってよく見ている。以前はアメリカ、すこし前には日本の70年代、80年代、90年代…といった時代ごとのサブカルチャー、主に映画や音楽を紹介していくものだ。しかしただの紹介が主軸なのではない。サブカルチャー史というだけあり、当時の時代背景や世間のうねりというものがいかに当代のサブカルチャーを生んだのか、それを専門家たちが語っていく。忘れがちだが、「時代背景」という視点は大抵の作品に存在しているのだ。

以下に例を挙げるが、うろ覚えなのと私自身がラストシーンしか見たことがないものなので、的外れであれば申し訳ない。近く最新作が公開されていた『トップガン』の初代作品では、戦闘シーンを売りにしながらも、何と戦っているのかが明言されないままに話が進んでいく(らしい)。しかし冷戦真っただ中の当時、観客たちは「アメリカの敵」というポジションから即座に「ソ連」を連想し(敵の戦闘機もソ連のものだそうだ)、その戦闘に自分たちを投影する。だからこそ、最後に撃破するシーンでは、観客は単なる「主人公の勝利」にではなく、「ソ連に対してアメリカが勝利した」という幻想に高揚を得ていたそうだ。

単なる事実の羅列としての歴史ではなく、そういった消費する群衆の視点から、揺れ動いていく時代を見ていくのは面白い。何より、当時のカルチャーに詳しい母と見ているからこその楽しさもある。その時代には日本ではこういうのが流行っていて……だとか、この俳優は他にこういうものにも出ていて……だとか。そういったものは、その時代を謳歌していた人間にしか話せないものだ。しかし、そんな母でもアメリカの時代背景を知っていることは少ない。先の『トップガン』もリアルタイムで観ていたらしいが、アメリカの熱狂それ自体を実感することは全くなかったそうだ。一緒に感心しながら、テレビに耳を傾けている。作品と文化は地続きだが、意識しなければ見えてこない部分ではある。

さて、時代背景という一点で、思い出したことがある。この間、といってもかなり前に、新海誠監督の『すずめの戸締り』を観に行った。地震、震災がひとつのテーマであるこの作品の中では、「3月11日」という日付が登場し、しかもそれは東北の地と結びつけられている。もちろん、見ている私たちは、その日付だけで東日本大震災を想起する。また、震災というテーマをもって見れば、他に作中で取り上げられている神戸や東京といった土地も、阪神淡路大震災や関東大震災と即座に関連づけられながらの鑑賞になるだろう。

だが、もし十年、二十年後になれば、その連想はどうだろう? 十年と言わずとも、今の若い世代はもう既に、過去のこととしてなにもかもを忘れていっているかもしれない。そんな人々は、果たして東北の地や「3月11日」という日付を見て、現実の出来事と即座にリンクさせることができるだろうか? させることができたとして、それは現実的ではない「記録」に他ならないのではないだろうか。

ここまで長々と語ってきたが、実はテーマは「教養」である。多くの意味を内包するこの言葉は、同じように多くの目的を持って「必要だ」とされている。教養が必要な理由を一言で述べるのは難しい。

今回は、この「教養」を「下敷きとなる知識」と定義してみる。そうすれば、教養が必要な理由など、私にしてみれば「その方が楽しいから」だけで十分になるからだ。面白いから、でもいい。かっこいいから、でもいい。知っている方が楽しいから学ぶ。

もう、ワールドカップもずいぶん前の話になるのだろうか。ルールを全く知らない私はただボールがどこにあるのか目で追うだけで必死だったが、家族は「ここから焦ってくるやろなあ」「押してるなあ」とやいやい言いながら観戦していて、楽しそうで羨ましかった。どっちがリードしているかもわからないまま見ているより、(多少知ったかぶりだったとしても)戦況を踏まえながら見守っているほうがずっと面白いに違いない。

これが、「知ること」の原点な気もする。そして「知識」は、決して過去のものに限らない。今起きていること、今の世の中の空気感、それらすべてが下敷きになって、いつかにつながっていくのではないだろうか。

いつかずいぶん先の未来、この2010年代、2020年代を振り返った時、自分はどのように回想するのだろう。今のエンターテイメントについて、社会の潮流について、どのような時代背景を解説できるのだろう。そう思ってみると、消費者としての無知に気づかされる。振り返って初めて語るのではいつも手遅れになるのだろう。日本のサブカルチャー史、学生運動やバブル期という過去を他人事のように眺めていた。

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