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「志高く」バックナンバー④~次男(小学3年生)覚醒編~

こんにちは。志高塾です。
 
1月10日にHPにて更新された「志高く」は、代表・松蔭の次男に関する内容でした。
※全文はこちらでご覧いただけます。
Vol.574 (並)中学受験生の父として | 志高塾 | 西宮北口校・豊中校・高槻校 (shiko-juku.com) 

そこでnoteでも、過去のブログから次男について書かれた文章を再録します。次男、小学3年生。冬頃のお話です。
 
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Vol.425「成功体験」(2019年12月3日)
 
ただ今3年生の二男が覚醒中。この夏、志高塾が夏期講習に実施している漢字テストで合格点の80点に達することができずに居残りになることも少なくなかったのだが、3年生のドリルを終え4年生のものに入った現在、満点は難しいものの、コンスタントに90、95点を取っている。学校の漢字テストでも以前は信じられないような点数だったのだが、先日は50問のテストで満点を取って帰ってきた。その日、朝一人で6時ぐらいに起きて丁寧な字で予習していた。「パパ、丸付けして」というのでチェックをすると、「学問」を「学門」と書いて1問だけ間違えていた。まったく同じプリントをやるだけなので「よし、これで100点取れる」と言いながら家を出て行った。過去にそんなセリフを聞いた記憶はない。

なぜ覚醒したのか、そのきっかけは分からない。しかし、それが思いの他長続きしている理由はよく分かる。頑張ったら結果が付いてきて、人生で初めて、人に評価されることの喜びを体全体で感じているのだ。詳しくは知らないのだが、学校ではクラスの何かの冊子の表紙の絵を先生から1人頼まれたり、作文が1人選ばれたり、サッカーチームでは10人中3人ぐらいしか声かがかからない試合に呼ばれたりと最近は良いことずくめである。

一か月半ぐらい前だろうか、通っているアートスクールの写生大会があり、土曜日に妻と二人で京都まで電車で行った。その帰途、作品の写真をラインで送ってきた。後から聞いたのだが「パパ、褒めてくれるかな?まだ返事来ない」と何度も何度も電車の中で気にしていたとのこと。「後から」と言うのは、私があまり評価しなかったので、「実はこうだったんだよ」という感じで妻から報告を受けたということである。

なぜ、褒めなかったか。それは本人に直接伝えた。「その日1日だけ頑張ってもダメなんだよ。以前はもっと家で絵を描いたり、折り紙をしたりしてたでしょ。お父さんはそれが好きだったんだけど、最近はそういうのが見られないのが寂しい」と。私にとっては、その絵がうまいかどうかはどうでも良かったのだ。

二男がよくお邪魔する近所の男の子のお姉ちゃんが意地悪をしてくると言うので「そりゃそうや。毎日のように自分の家にゲームしにくる子がいたらうっとおしいから誰でもそうなるわ。前から言っているように外で遊びなさい」と話した。10月の末に、何の前触れもなく「これからは1か月に1回しか友達の家でゲームしないから」と勝手に宣言した。また口だけだろう、と適当に聞き流していたのだが、11月は見事に1回も行かなかった。
 
11月の最初の1週間ぐらいは気合が入っていたので「ずっと続けるのは難しいだろうから、せめて今年いっぱい続けて欲しい。そんだけ続いたらすごいよ」と発破をかけていたのだが、このまま年末までは突っ走りそうな気がする。仮に、今日それが終わってしまっても、この1か月にはすごく意味がある。「ほら、3年生の時にすごく頑張った時期があったでしょ。あの時を思い出して、またやってみたら」という声掛けができるからだ。
 
極端な話なのだが、私は二男に対して「この子は頑張らないまま大人になるんじゃないだろうか」と心配していた。長男と三男が現時点で何かを頑張っているわけではない。ただ、2人に関してはその気にさせる方法は何となくあるような気がしていたのだが、二男のそれはさっぱり分からなかった。いわゆる、やる気スイッチがどこにもないような気がしていたのだ。何か指摘しても「別にいいじゃん」というような言葉が返ってくるか、そんな風に受け取っているようにしか感じられなかったからだ。
 
中学受験を考えている親が、中々エンジンがかかりそうにないタイプだから、と前倒しで塾に通わせることがある。(成果)=(密度)×(時間)という式で考えた場合、密度の薄さを時間(期間)の長さで補おうというのがそれなのだが、そうすると恐ろしいことに大抵はもっと密度が薄まるのだ。すると、またもっと時間を長くして、さらに薄まる、という負のスパイラルに陥る。それが分かっているから「あれやこれやと先手を打ってもうしょうがないし、どうしたもんだろうなぁ」となっていた。
 
結局、その都度その都度話して聞かせる、ということを私は続けてきている。イメージとしては、中の様子が分からないコップにスポイトで一滴、一滴、水を注ぎながらあふれてくるのを期待し続けるようなものである。
 
似たような相談を親御様から受けることは少なくない。そういうときに私が伝えることは主に2つ。1つ目は、待つしかないこと。ただ、待つと言っても放っておくのではなく、一滴一滴は続けてやらねばならない。水を一気にあふれ出させるような特別な方法などないのだから。そして、もう1つは、そういう日が来る、と親が信じ続けてあげること。不動産投資などのしょうもない勧誘の電話が掛かってきた際に「そんなに儲かるんだったらご自身でされたらどうですか?」と返すことがあるのだが、私の場合、少なくとも親御様に勧めたものは実践している。そこだけは胸を張れる。

成功体験という言葉はよく使われる。受験であれば、第2、3志望であっても合格することを意味することもある。「成功体験=合格」ではない。たとえ、それが第1志望のトップ校の合格であったとしても。その過程において、何ができて、何ができなかったのか。それが結果とどのように結びついているのか。小学6年生であってもそのようなことはそれなりに理解できる。それができれば、その体験は未来のその子なりの成功につながっていく。
                              松蔭俊輔
 
<おまけ>
Vo.l.431「結果は出る」(2020年1月21日)より一部抜粋
 
この前の土曜日、3年生の二男が志高塾(豊中校)での授業から帰って来て、「90分間、テストもせずに漢字の勉強を頑張った」と誇らしげに伝えて来たので、「でも駄目だったんでしょ」と返した。先に帰宅していた長男から不合格であったことを聞いていたからだ。
 
その漢字テストとは20問あり、8割の16問以上で合格となる。合格した場合、間違い直しが終わったら終了。不合格であれば、間違い直しの後、少なくとも30分は自習して再テストとなる。後は、その繰り返しである。
 
その前の週に、用事があるから(実際、サッカーの練習があった)、と合格していないにも関わらず勝手に帰って来たので(早く帰りたいのであれば、一発で合格できるように準備をしておけばいいだけの話である)、その日は、合格するまでやってきなさい、と伝えていた。
 
結果、13時から14時半まで授業をし、その後、18時まで居残りとなった。1回で合格していれば15時には教室を出られた。90分間勉強したのは30分では足りなかっただけのことである。
 
私の言葉に「ちがう、頑張った」と反応したので「日頃やってないからそんなことになる。もし、お父さんが頑張ったことを認めたら、漢字テストの勉強を一生懸命しても合格できないバカです、となるけど、それでもいいのか?お父さんなら、絶対に人からそんな風に思われたくない」と返して、用事をするために2階に上がった。30分後ぐらいに1階に戻ると、歯を食いしばって嗚咽をもらしながら何かをしていたので、「そんなに認めて欲しいなら、頑張ったね、って言ってあげようか?」と声を掛けると、「違う。悔しいから泣いてるだけ!」と言い返してきた。
 
結果が出ないときに、その原因を能力にではなく、やり方に求めるというのは非常に大事なことだと私は考えている。このような考え方を誰かに直接的に教わったのではなく、学生時代に結果が出ずに「俺はアホなんだろうか?」となったとき、自分を守るために「いや、やり方が良くないだけや」と思い込むことを繰り返しているうちにできあがっていったものである、おそらく。

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