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身体を取り戻すナラティブ


目(脳)と手(身体)の協応

 人に限らず、目を持つ生物はすぐそばに脳を持っています。目で見たものを信号として脳へ送り、脳はその信号を処理しますので、目で見たものを身体で扱うためには目(脳)と手(身体)の協調、協応が必要です。

 運動目標に向かう腕運動が計画・実行される過程において、手と眼の動きが時空間的に協調する。このような現象、およびその現象に関連する脳の計算メカニズムを指して、手と眼の協調運動計算と呼ぶ。手と眼が協調して動くことは、必要な視覚情報を、適切なタイミングで取得することにつながり、運動課題の遂行に必要不可欠な機能と考えられている。

手と眼の協調運動

 参考:英語です。

脳と身体の不可分(性)

 目(脳)と手(身体)は協調、協応して動くことで機能しますので、両者を分けて別々に考えるとおそらく間違ってしまうことになるでしょう。
 Wikipedia Senseには、脳の機能と役割について分かりやすく示している図(下)があります。

By Thomas.haslwanter - Own work, CC BY-SA 3.0

 なぜかこのWikiの言語を日本語にすると図がなくなってしまうのですがこの図にあるとおり、外部の信号を受け取って演算し、その結果を身体で出力することが脳の機能と役割です。脳には身体を精妙にコントロールして動かすという重要な役割があり、さらに脳から身体の動きで出力された信号は再度、脳へ伝達され、再演算後、再出力されるという動きが繰り返されます。
 これは以下の記事にあるとおりです。

古代のシンボル

 目(脳)と手(身体)の協調、交感をシンボライズした意匠は古くからあり、そこでは目(脳)と手(身体)は一体化しています。

 最近、特に「目」のシンボルばかりが目立つのは、手=身体の軽視、排除がいよいよ顕著になってきているような気がしています。演算処理の優位性のせいなのでしょうか。

切り離された首と身体の伝説

 首(頭)をなくした身体の奇妙な伝説は世界中に見られるそうです。中でも映画やドラマにもなった「スリーピーホロウ」は特に有名ですが、作者のアーヴィングはこれとよく似たアイルランドの伝説を調べています。

 『スケッチ・ブック』の執筆中に北ヨーロッパへ旅行に向かい、そうした中でスリーピー・ホロウと類似した首なし男の伝説(デュラハン)について取材している[12]

スリーピーホロウ

 首(頭)をなくした身体は当然のことながら、頭を取り戻そうとして奮闘します。類似のモチーフは日本にもいくつかあるようですので、首(頭)の喪失となくした首(頭)を探す主題は、きっと切り離されてバラバラになってしまうことへの恐れを、私たちが普遍的に共有していることの現れなのでしょう。

 以下は日本の幽霊のはなしです。

 身体を探し回る場面はないですが、首(頭)をなくしてしまった侍の霊に出会ったお話。

都市=脳=人工環境と、ローカル=身体=自然

 都市は脳化された人工の環境ですので、身体性=自然=コントロールできないものを排除した空間であるといわれます。都市に造られた公園はもちろん制御できない無秩序な自然ではなく、きれいに刈り込まれた創作物ですので人の脅威にはならないでしょう。都市では予測されない事態は起こらないものなのです。

 都市が脳であるなら、完全なコントロールを実現している「マトリックス」のMachine Cityは、身体を持たない人工の 擬似(pseudo)脳で構成されるBrain-Networkかもしれません。そこでは人の身体はPower plant(電力プラント)でした。エネルギーを生み出すのはもちろん、身体であり、エネルギーを消費するのは脳(=都市)、Brain-Networkです。
 エネルギーは無秩序な自然から取り出されるものですから。

身体を取り戻す物語

 あるとき、完全で安定して稼働しているMachine Cityは『身体』がないことに気づきます。リモートで制御できるマシンはありますが、自身の身体の「動き」をとおして出力し、さらにその結果を再び演算するという、サイクルを回すことができません。計算結果は、出力を経ずに直接、Brain-Networkに再入力されます。

 身体を取り戻して動かし、その出力を再入力して、再び演算するサイクルを実現するにはマトリックスに「手」を加える必要があります。

 ネオとトリニティはマトリックスを手直しして、『身体』を造ることになるとしたらどうなると思いますか。

The Matrix Resurrections


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