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独立のすすめ

 ここ数年、「日本は独立国ではない。」という話をよく聞きます。
例えば以下の新書はYoutubeでも要約されていますので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

知ってはいけない 隠された日本支配の構造

 
 
 またXでもワクチンの被害や、プーチンをリスペクトするものと並んで次のようなポストをよく目にするようになりました。

 
 
 もちろん、これは「自国ファースト」の流れをつくり、さらに加速させようとしている人たち(勢力)の意図が働いているためでもあり、Xではそのようなポストを拡散させるアルゴリズムが実装されているでしょう。

 アルゴリズムについては推測するしかないですが、以下のポストも(ちょっと分かりづらいですが)同様の趣旨かと思います。
 もっともヨーロッパはずっと続けられてきた「移民」、「難民の受け入れ」でどこも治安は悪化し、惨憺たる有り様ですので自国優先主義は自然な流れともとれます。


 日本では移民の受け入れによる影響は、ようやく一部の人達からの発信で少しづつ知られてきていますが、一般にはまだあまり警戒感はないように感じます。

 日本の場合、まだまだTVの視聴が多いせいか、移民の受け入れよりも、低所得や、増税、そして自民党の不祥事の報道などからなんとなく、「米国」による支配の”気配”のようなものが意識されはじめ、そこから「日本の独立」という雰囲気が醸成されてきているという印象をなんとなく受けます。

 さて、「日本の独立」という言葉からは、「明治維新」を想起する人も多いかと思います。そして幕末、明治維新に活躍した志士たちと同世代の人物には「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉もいます。

 福沢諭吉は、慶応三年(1867)、幕府遣欧使節団に付随して渡欧する途中、次のように公言して謹慎処分になったそうです。

 「ドウしたってこの幕府というものは潰さなくてはならぬ。(中略)
 誰がこれを打毀(うちこわ)すか、これが大問題である。今の世間を見るに、これを毀そうと言って騒いでいるのは、いわゆる浮浪の徒、すなわち長州とか薩州とかいう攘夷藩の浪人共であるが、もしも彼(あ)の浪人共が
天下を自由にするようになったら、ソレこそ徳川幕府の攘夷に上塗りをする奴じゃないか。ソレよりもマダ今の幕府の方がマシだ。けれどもドウしたって幕府は早晩(いつか)倒さなければならぬ、ただ差し当たり倒す人間がいないから仕方なしに見ているのだ。」

教養脳 福田和也 P209
文明論乃概略 福沢諭吉 

 数年前に、福沢諭吉のこの言葉を読んでもよくわからなかったのですが、今ならこれを「ドウしたって日本は独立しなくてはならぬ。」と言い換えることで理解できます。
 私たちは今、「独立しなければ生活は良くならない」という想いを共有しています。おそらく、多くの人と、詳しい説明をすることなく「独立」について、話ができるのではないでしょうか。

 おそらく、幕末期にも「幕府を倒さなければならない」状況はくどくどと説明するまでもなく、多くの人々が認識しており、それゆえ諭吉は事情や理由などを書くまでもなく「ドウしたって幕府は早晩(いつか)倒さなければならぬ」と書くことができたのでないかと思います。

 「教養脳」で、福田和也は、「諭吉は実学に励んで日本人が目指すものは『独立』と考えていた。」と書いています。

 ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於おいて数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。

福翁自伝 福澤諭吉

  これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり

学問のすすめ 福沢諭吉

 また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。わが日本はアジヤ州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易こうえきのこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺ことわざに言う「井の底の蛙かわず」にて、その議論とるに足らず。
  日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴こくどにも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄すてて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

学問のすすめ 福沢諭吉

 独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。

学問のすすめ 福沢諭吉

 独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。

学問のすすめ 福沢諭吉

 福沢諭吉の主著「学問のすすめ」は「独立」について書かれた著作である、と言ってもいいほど、様々な視点で諭吉の「独立」についての考えが論じられています。


参考


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