生きることを続けてきて思ったこと。
こんにちは、初めまして、シキです。Twitterを開設したのを記念に、自己紹介をかねて、最近思ったことの話をしたいと思います。どうぞお付き合いください。
自己紹介
現在大学3年生の柔道部員(怪我で戦線離脱中)です。趣味はこれといってないのですが、ライトなアニメ、漫画、ゲームオタクです。オタク歴はおそらく8年目になると思います。これ以上自己紹介することがありません。ほんとです。
あなたの望む子どもになれなくてごめんなさい。
さて、最近思ったことというのは、後輩の話から始まります。大学の後輩が「大学辞めたい、死にたい、人間やめたい」というようなことをTwitterでつぶやいていたので、LINEで連絡をとってみると、なんとなく話の全貌がつかめました。
親の期待に沿えず、目の前の課題すらこなせず、こんな人間が生きていてもどうしようもない。死ぬか家業を継ぐか毎日考えているけれど結論がだせない。自殺の方法を考えるけど、怖くてやめてしまう。こんな価値のない人間がいてもいいのか。そんなこと言っていました。
なんだかちょっと前の私を見ているようだなと思いました。私は家族の中では大変出来損ないで、実際母親にも「育て方間違えた」と言わせてしまったことがあります。そのときは気づいたら自分の部屋に移動していて、窓を開けて外を見下ろしていました。しばらく外を見て、「この高さじゃ死ねないな」と窓枠にかけた手の力を抜きました。これからだけでもせめて母親の希望に添える子どもになろう。そうとだけ思って、勉強机に向かって参考書を開いたのを覚えています。
母親は私が公務員になることを望んでいます。「公務員とかどう?安定してていいよ。やっぱりあんたに向いてると思うんよ」と、就職のことで口を開くと、そればかり言います。私は柔道をやっているので、確かに警察官はいいかもしれない、と思いました。人の役に立てる仕事。出来損ないの私にもできることがある、と少し勇気がでました。ですが、大学に入学して、アルバイトを始めて、もっといろんなものを知りたいと思うようになりました。自分が知らない世界は想像以上にたくさんあって、その中にもっと私がやりたいことや、役に立てることがあるんじゃないか。バイト先の人たちに就職の話を聞いてみると、みな口をそろえて言いました。
「親の願いを聞くのもいいことだけど、就職は自分で決めた方がいい。」
私自身はとても空っぽで、親の願いを聞くことが唯一自分にできることだと思っている節があります。でももし、それで失敗してしまったら?私は弱い人間なので、それを親のせいにしてしまうかもしれません。それは私も望んでいません。ならば、自分で決断して、自分で道を切り拓くしかないのです。今はそれに向けて様々な業界を調べているところです。もし読んでくださった方の中で、こんな仕事もあるよ、と教えていただける方がいらっしゃれば、コメントに寄せていただけると嬉しいです。
私は親の望む子どもにはなれませんでした。「反抗期なんか許さない」と言われて、それをずっと守ってきたのに、今になって反故にしてしまいました。就職するときには謝らなければいけないな、と思います。でも、この決断を間違っているとは思いません。自分で歩き出すタイミングが遅れただけで、私はやっと次の一歩を踏み出せたのだと、最近前向きに考えられるようになりました。
あなたと出会えたことが、生きてきた意味だった。
こんな出来損ないが生きていることになんの意味があるんだろう、と思って生きてきましたが、死ぬ勇気はありませんでした。鬱状態のときは本当に死という言葉がいつもちらついていましたが、それでも死ねませんでした。親に「先にシキが死ぬようなことがあれば後を追う」なんて言われてしまえば、死ぬことなんてできません。母はすごい人です。なんでもできてなんでも知っているスーパーウーマンです。そんな人が死んではいけない。なら私は生きなければ。今思えば、言い訳のようにも感じますね。
生き続けてよかったと思うことは、「出会いたかった人たちと出会えたこと」だと思います。こんな私を愛してくれる人、肯定してくれる人を、心のどこかでずっと探していました。その人たちは、私の人生の節目に必ず現れました。私の柔道に価値を見出してくれた人、私と私の柔道を肯定してくれた人、私の「普通」を理解してくれた人、私の力を信じてくれた人、そして、私のすべてを受け入れて愛してくれた人。そんな人たちと出会えたのは、本当に幸運だと思うのです。
私が生きていることに意味はないかもしれません。でも、出会いたかった人たちと出会えたことで、私が生きてきたことに意味が生まれました。外から見た私に意味はなくても、私の「今まで」に意味があったと気づけたのです。あなたに出会うために、私は生きてきた。そんな人たちと出会えて、私はほんとうに幸せな人間だと思います。
これからも生きていくこと。
後輩は現在、少し落ち着いているようで、すべてを清算するために留学を考えているそうです。それはとてもいいように思います。それは逃げではなく、生きていくための手段です。自分を肯定していくための方法です。親のあれこれで、最初または途中から人生が歪んでしまった何人かの知り合いは、海外に移住して、現在は幸せに暮らしていると聞きます。新たな環境へ踏み出すのはきっと難しいことは不安になることもあると思います。でも、きっとその先に今までになかった「人生」があるのだろうな、と思います。
これから生きていく上で、きっと私も後輩も、それ以外のたくさんの人が、理不尽や苦痛に耐えながら人生を形作っていくでしょう。自分が正しいのか間違っているのかわからず、立ち止まることもあるでしょう。そのときは、立ち止まったり、過去を振り返ったりしてもいいと思います。これからも生きる上で、ずっと必要になることだと思います。私もそうやって、少しずつ歩き出して、「自分で決断すること」を増やしていけたらいいなと思います。
長ったらしく、面白みのない文章になってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。これからもどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
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