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厳しい規則とパワハラと

廃業になった会社を辞めた後に、再び失業保険をもらえる権利を得た。

そこで失業保険をもらいながら、何かの資格を取ろうと思い、職業訓練校に通って、マイクロソフトのMOS検定を受けた。Word・Excel・Access。オフィスソフトの資格を持っていれば事務系の求職活動にも有利だし、給料も今までよりも高いところでできそうな気がしたからだ。

訓練校に休むことなく通い、試験を受けた。

Excelは950点(1000点満点中)と九割越えの高得点で合格。

Wordは862点と思っていたよりできなかった。

最後に受けたMOSのAccess2010。一番馴染みがなくて、受かる確率が低いだろうなぁ、と思っていたけれど、受けてみると、意外といけるかも、となり、結果は今まで受けてきたMOS資格試験の中で一番高い点数(970/1000)での合格だった。

 

MOSはとるのはそんなに難しくないと言われているけれど、資格が取れただけで結構自分に自信が持てるようになった。

そして、年が明け、二〇一四年の二月から、いよいよ次の職場で働くこととなった。ところが残念なことに、せっかくMOSの資格を取ったのに、オフィスソフトを全く使わない職場だった。

 

紙とペンだけを使っての書類審査業務。時給も1000円とかなり安かった。給料の高い職場で働くために資格を取ったというのに、資格を持っているのが本当にもったいないという状況になってしまった。業務が始まったら使う機会もあるのではないかと少し期待していたのだが、全然なかった。

面接を受けた時は、採用してもらえるだけ・仕事ができるだけましだと思っていた。なかなか仕事に採用されないことが多かったので、安易に決めてしまったのだ。

一つのフロアに大人数が集まってやる仕事だった。研修があったのだが、二週間くらいやっていた気がする。業務自体は楽で、不明点があればよく質問したし、仕事をこなすスピードも数をこなしていく度に速くなっていって、管理者にも評価されていった(のちにSV候補というのになる。他の人たちに、不明点を教えるという役割だ)。

 ただ、とにかく規則の厳しい会社で、飲み物さえ仕事場に持ち込めない環境だったし、筆記用具メモ用紙等もダメ。作業着を着たのだが、ポケットもなく、ハンカチ・ティッシュも持ち込めない。花粉症の時期は最悪だった。

 

規則も厳しかったが、それ以上にこの職場で問題があったのは、パワハラとセクハラの両方をする女性管理者が一人いたことだ。実際はパート従業員なのに、とにかく自分はすごく偉いんだぞ、みたいな態度を常にとっている人だった。派遣社員というものを常に見下していた。

その人はほんの些細なことでも注意をしてくる。まだ始業時刻にもならないのに私語をしていたら怒鳴ってくる。まだ昼休憩が明けるまで五分くらいもあるのに、「戻ってくるのが遅い」と怒鳴っているのも見たことがある。自分の気に食わないことがあると、とにかく派遣社員にあたる。

そんなだから、みんなから、嫌われていたし、ぼく自身もその人の理不尽な言動に毎日怒りを抑えるのに必死だった。他の人が注意を受けているのを見ているのも不快になるほどだった。

その人に目をつけられないよう注意していたものの、仕事ができてしまう分(処理能力が速いため)、自然と目をつけられていた。仕事ができることは良いことなのに、目の敵のように扱われることもあった。一種の嫉妬なのだろう。

その人は気に入った男性の派遣社員に対して、露骨にセクハラをしてくることもあったそうだ。後ろから抱き着いてくる等。

パワハラをしているというのは誰もが知っていたが、セクハラまでしていたというのは驚きだった。

パワハラにしてもセクハラにしても、注意を受けてもやめなかったというし、病気だったのだろう。

 

と、まあ、こういう精神的に疲弊する環境での仕事だったので、過敏性腸症候群も酷くなって、毎日昼休憩になるとお昼ご飯を食べるより前にトイレにこもった。十五分から二十分くらい。業務中は十分休憩以外にフロアの外に基本出ていけないので、腹痛をなんとか我慢して、とにかく長い時間休憩できる昼休みまで待った。

業務をこなして疲れるのではなく、環境面から精神的に疲弊していっていた。

管理者の中にはもちろん、親切な人もいた。審査業務をしているみんなから慕われていた社員だ。前述したパワハラ・セクハラをするパート従業員一人を除いて、管理者はみな親切だった(二十代前半と若いながらも、しっかりしていた)。

 

パワハラしてくる従業員がいたという問題はあったけれど、一方で大人数が一斉に入社する職場というのは良い面もいくつかあった。

 派遣社員同士でよく世間話をして仲良くなれたことだ。仕事の処理速度が速いのと合わせて、周りと普通に会話できることが自己肯定につながった。六人一チームという形になっていたのだが、チーム内でよく話をした。なかなか自分からは話しかけられなくても、話しかけてくれて、いつの間にか自分からも自然と話しかけるようになっていって、会話が弾むほど仲良くなっているということがあった。そういうこともあって、チームで一緒になった人同士、あと仲の良かったSVもあわせて、仕事終わりに飲みに行ったりもした。

自分から積極的に飲み会に参加したのも、職場ではここが初めてだった(正社員として働いていた会社では、半ば強制的に飲み会に参加していたけれど)。飲み会に参加するのが初めて楽しいと思えた。仕事での裏話も聞けたり、それこそパワハラを行っていた女性従業員の奇行も聞けたり、前述したようにセクハラもしていたという話も聞けたり。飲み会という場でないと聞けない愚痴や裏話もたくさんあるんだなと知ったのだった。

 

あと、みんなから頼りにされたのも嬉しかった。身体の方はぎりぎりのところでやっていたけれど、SV候補にもなって、不明点を人に教える業務というのも緊張はしつつも楽しいと思えた。

管理者からは本当に高く評価してもらえて、のちのち社員になるのも考えて正式にSVとして続けてみないか、と言われたことは嬉しかったけれど、身体のこともあったし(うつ病その他諸々の症状がばれるのも怖かったし、SV候補になってからはずっと立ち仕事になって、体がふらふらにもなっていたし)、自分が本当にやりたい仕事ではなかったので(MOSを取ったのにPCを全然使わない職場だったし)、申し出を辞退し、半年で辞めたのだった。

仲良くなったみんなからは惜しまれて、大切に思ってくれているのが嬉しくて泣きそうになってしまったけれど、辞めたのは正解だったと思う。自由にトイレにも行けないし、立ちっぱなしでふらふらになるなど、なにしろ規則が厳しすぎた。。

 

けれど、思い返しても、ここで働いて職場の多くの人と楽しく仕事ができた(自分から話しかけられたりした)のは自己肯定につながったプラス要素だったと思う。

あと、飲み会もポジティブな気持ちで参加できたのは大きな経験だった(お酒が全く飲めなくても、居づらさを感じなかった)。

 

うつ病が職場の環境などで悪くなったり良くなったりしながら、それでも少しずつプラスの経験を重ねていることで、人生そのものが改善の方向には向かっている気はする。

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