わけもなく悲しい。

 わけもなく悲しい。何も考えられない。

 というお気持ちであるが、無論、本当に何も考えられないわけではなく、こうして文章なども書けている。では、なぜ『何も考えられない』などと感じるのかが問題となるが、それは、考えることすべてに何の意味もないように感じるからである(ように思う)。当然、いまここに書いている言葉にも何の意味もないと思っているし、何の意味もないことを確認することにも何の意味もないと思っている。では何故書くのかと問われれば、考えること自体に意味がないからこそ、何らかの形にしておきたいのではないか、と考察してみる。

 次に、『わけもなく悲しい』というお気持ちに関してだが、これが「悲しい」という感情なのかどうか正直わからない。どちらかというと「虚しい」という表現の方が近い気がしてきた。とりあえず、何もやる気が起きない。何もやる気が起きない、と言いつつこんな文章を書いているじゃないか、と思われる人もいらっしゃるだろうし私もそう思うが、とにかくやる気(というか気力)がないのは本当である。このお気持ちに関しても、上記と同様に、行うことすべてに何の意味もないように感じるというのが、最も正確な表現かも知れない(と、今思った)。

 結局のところ、人間という生き物はどうしようもなく意味を求めてしまうものなのだと思うし、その意味は多くの場合他者の評価に依存するものだと思う。我々が「何で生きてるんだろう?」と考えるとき、それは誰かの「──の為に生きてるんだよ」という応答を期待しているのではないだろうか(そもそも価値とか意味とかって、他者の評価ありきな概念な気がするし)。だとすると、『わけもなく悲しい。何も考えられない』って、要は「寂しい」ってことになるのかな、と考えてみる。

 わけもなく悲しい。何も考えられない。

 ふと、そう感じてしまったわけだが、せめてこのお気持ちを「悲しい」に集約できるようにしたい。悲しむのにわけなんか必要ないし、何も考えられないことが悪かろうはずもなかろう。言葉に出す時点で、意識してしまっているわけであって、もっと純粋に「あっ、なんかよくわかんないけど悲しいな」って思えるようになりたいなって思いました。※ただ『思いました』とかいったけど、これも文章を書きつつ現状の否定という結論としてそこに至っただけであって、何らかの意味付けをしたい欲求を抜け出せていないのは確実なので、私はもうこの文章のことは忘れようと思います、だって意味ないし────。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?