「祭」
◇祭り、縁日、屋台。神輿、山車、祭囃子。
幼き頃、毎年その日が楽しみでしょうがなかった。
昔から祭りの日は予報が雨でも晴れる不思議。それは神の力だと思って差し支えない、そう思ってた。だけど今年はそうもいかなそうだ。神も年老いたのかもしれない。それならば致し方あるまい。
◇昼間は子供神輿を担ぎ山車を引き、休憩所のお寺で賄いオニギリを頬張る。夜は祖父母の家に行きお小遣いを貰って夜の屋台へ。カキ氷、たこ焼き、焼きそば。型抜き、くじ引き、金魚掬い。
その日は夢の中にいる様な幸福感があった。
その幸福感を身体が覚えてるのか、祭囃子が聞こえれば今でも心は自然に躍り出す。
◇「彼女彼氏と夜の出店に行く」
実に田舎らしい発想だが中学生当時は皆それに魂を燃やす勢いだった。祭りの前から付き合い始め、祭りを越えて、程無くして別れる、というパターンが通例。
自分もご多分に漏れずそうだった。緊張爆発で祭り中、その娘と手も繋げず殆ど話せず、その後すぐフラれるというヘタレエピソードが在る。
今では笑い話だが、いかんせんその話を披露する機会ないまま今に至る。そういえば人と恋バナをするといった習慣は当時から既に皆無だったから当然かもしれない。
◇バツイチという呼称はダサいから、親友Tがペケワンと新名称を与えてくれた。このワードセンスは彼のビジネスセンスに紐づいてる。まったく余計なセンスの使い方をしていると思う。
いつかペケワン2号と呼んでやりたいが、アイツおしどり夫婦だからたぶん無理だと思う。昔から呆れ返るほどカッコイイ友人だ。
そんなアイツは今では世界中に従業員がいる会社の社長で、もう一人いた親友のSは昨年死んでしまった。
人生何があるか分からないね。
◇昨年、友人Aちゃんとその娘の三人で昼の縁日へ出向いた。夏休み、娘と2人地元に帰ってきたそうだ。
金魚掬いがやりたいと娘。母である友人は「飼えないでしょ」と諭す。それでもやりたいと娘。結局、金魚をおれが引き取る事でその場を丸く収めた。世の中の爺さんはこんな感じかと思った。
爺さんどころか自分独身なんですけどね。
◇「いないのが寂しいよ」その日Aちゃんはポツリとそう言った。ここにいる筈だったSがいない事の違和感がそういう感情にさせた様だった。
そうか、確かにそうだった。もし生きてたのなら、この日も3人ではなく4人だったよな。
娘さんは無邪気にゲームに夢中。僕らはお墓参りの予定を立てた。
楽しいお祭りに、ちょっぴり悲しいエピソードが追加された日になった。
◇「湖畔吟」
この街にまだこんなに多くの子供がいたんだな。夜の屋台は昔と同じ様に隙間なく並び活気を放っている。大勢の人々が道路を埋め尽くす。ソースの香りがふと鼻に入る。じわりと湿気と熱気で体は次第に熱を篭らせる。それを冷やす為にカキ氷店には行列ができた。
只ひたすらにはしゃぐ小学生グループ
異性をあからさまに意識して肩に力が入った中高生の男の子
それより少し大人びて余裕が見える中高生の女の子
ソッチの職業の大柄な男たちがチラホラ
小さな子を連れた夫婦
まだ10代だった頃の祭りが戻ってきた様に見えた。
それまで年々少なくなる屋台と人を見ながら「なんだか寂しいなぁ」死んだSと毎年そう話していた。しかし昨年は予想に反し多くの人が集まり賑わった。復活した、そう思った。
この街の祭囃子はまだ終わらないらしい。
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