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「心」

◇「若者撃退」

若者の有り余るエネルギーを邪魔に思う大人という構図は万国共通であるようで、遠くは北ヨーロッパのフィンランドにて「浜辺で騒ぐ若者たちをクラシック音楽で撃退!」という記事を嘘か本当かネットで目にした。

音楽好きの自分としては成程一理あるなと、そう思った。

音楽は人の感情を動かすものであり、また感情を動かす事ものこそが音楽というものであり、その意味では人を変える事に繋がるのが音楽だからだ。


◇その記事によるとフィンランド南部のエスポー市にて夜中ビーチに集まる若者が騒ぎ大量のゴミを残していく事で海水浴客の迷惑になっているという事だった。

そこで登場した策というのが「18〜23時までの間、2つの大型スピーカーからクラシック音楽を流す」というもので、それが効果的面だという。

それは6年前から実施し今にまで続けられているらしい。


◇世代によって呼び名は変われどクラシック音楽が「陽キャ」「パリピ」と相性が悪いのは感覚的に理解できると思う。

個々人でクラシック音楽が好きという人はいるかもしれないが、この場合「ビーチで集まっている騒ぐという集団」と括って見た場合にクラシックは明らかに合わない。単純に乗れないからだ。

複雑性が高く芸術としての面が強いクラシック音楽のテンポより、4つ打ちリズムと重低音、デジタル音と反復性が若者の気分を高め一種のトランス状態となり快感が伴う。だからクラブミュージック。乗れる。


◇一定のリズム音を強調する音楽は古来より存在しており、日本における祭囃子を始め、世界中の様々な儀式に使われる民族音楽のリズム音も同じと見て間違いない。

多くの場合は打楽器(太鼓)にその役割がある。

おそらく最も古い楽器が打楽器だと思う。単純に何かを叩けば音が出る。その意味で物質は何でもドラムになった。よって音楽の始まりはリズムだった筈だ。

そして一定のリズムを刻むビートの始まりは、心臓の鼓動だと思う。

これは「乗る」という事と根源的に関わっている筈だ。身体が成長期にあり、生命としてのエネルギーが漲っている状態にある若者なら尚の事だろう。


◇「音楽には力がある」

若者には気の毒かもしれない「若者撃退クラシック音楽施策」はビーチを汚しているからしょうがないにしても、音楽の力にこういう使い方があるのかと思わせる記事だった。

それならば、東横・グリ下・大久保公園で大音量のクラシックを流したらどうなのか?

あっという間に問題が解決してしまい困ったNPO法人がクレームをつけてくるという事態が出てくるかもしれない。


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