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「愛」

◇以前noteの記事に書いた、ある有名人が愛する“世界一の焼肉定食”を提供するお店が突然閉店した。1969年創業だから55年営業した事になる。

田舎の住宅街にある昔ながらの定食屋さんである。まだ有名人になるずっと前の事。通う学校のほど近くにあるこのお店で焼肉定食をよく食べたのだという。

その後、有名になってからも不定期に通っていたようで店内には店主と共に撮った写真が飾ってあった。

出来上がる料理の一つ一つに店主は我が子の様に愛でる眼差し向け、ホール従業員に渡された後お客のテーブルへと運ばれる。

そんな「愛」がたっぷり注がれた料理は、食事が単に栄養補給で効率的で機械的で安価であればある程良いとされる「メシ」とは別次元の「料理」である。

そういう愛のこもった料理を提供する数少ないお店がまたこの世から一軒なくなってしまった。


◇今ではSNSでレトロなお店、昔から続いている雰囲気たっぷりなお店、おじいちゃんおばあちゃんがやっている老舗、そういう切り口のショート動画が人気になったりしている。

また美人店長が切り盛りする古い町中華という切り口から人気店になる事もある。元よりこの場合はアイドルに会いにいく感覚で店に行く客が多いようで「○○はいませんでした。料理は美味しくない」で、評価は星ひとつ。なんて辟易とするネットの口コミ投稿がされてたりするから、まぁ難しいもんだなぁと思ったり。

いずれにしてもレトロが流行るところを見るに、昔の時代に何か価値を見出し始めているという事はあると思う。

裏返せば現代に対する一種の拒否反応が起きている。

それが資本主義社会の折り返し地点であるような気がしないでもない。


◇大量生産大量消費。

服は大量に作られ大量に廃棄、弁当も大量に作られ大量に廃棄。

また腹回りにでっぷりと付いた贅肉も同じ。これら全ては余剰価値。本来無くても良かったもの。

有り余る大量の価値を無駄に回す事で消費経済は回っている。


◇そういう事に無意識に違和感を感じ始めた世代からレトロ(過去)への回帰意識が芽生えてきたと考えても違和感はない。

100年後200年後の未来。エネルギー(石油)が枯渇したら経済どころか人類と世界はどうなることやら。

レトロは“過去に生きたい”という人類の無意識の希望の表れなのか?

そう考えたら映画TENET(クリストファー・ノーラン監督作品)を思い出した。映画インターステラー両作品、人類の滅亡の危機が描かれている。

このままではいけないというのは理解してるが、人類はそれを止められないんだろうなぁ。

だからノーラン監督はそういう事を映画にしたんだと思うんだよね。

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