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「星」

◇七夕。最初の記憶は幼稚園児の頃。

願い事を書いた短冊は笹に吊るされ、その後に木まるごと燃やされた。

煙と共に願い事は天へと上り叶えてくれるのだと、先生はそう言った。

願い事に何を書いたかは忘れた。


◇二番目の記憶は二十歳頃。当時、親しかった人の母親が亡くなった日。

どこか胸騒ぎがして真夜中に病院の近くまで行ったが中には入らず帰ってきた。

翌日。願い事は届かなかった。


◇三番目の記憶は、また別の病院内の記憶。当時、入院していた祖母の元へ毎日の様にお見舞いに行っていた。

僕は残業はせず上がらせてもらっていた。小さな会社だったから皆んなの距離は近かったし優しかったから嫌な顔をする人はいなかったと思う。

専務なんて連絡もなく急に現れ出て僕らと雑談(仕事の邪魔)をしつつ常備されているお菓子を食べながらまったりしているという、本当の意味でのアットホームな会社だった。そんな常務は大学の講師になると言っていたが、その後どうなったかは知らない。


◇仕事終わりは原付を飛ばして病院に向かう。とはいえ仕事後である。つまり面会時間はとうに過ぎている。

そんなのお構いなしに病院正面口から堂々と入り、職員さんに会ったら軽く会釈し病室へ向かった。咎める人はいなかった。祖母とは10〜15分だけ会話し帰宅した。


◇ある休みの日。昼間に病院内を歩いていると笹に吊るされた患者さんの願い事を見つけた。自然と短冊に書かれた願い事に目が行く。

家族が健康であります様に
世界が平和であります様に
皆が長生きできます様に

衝撃だった。病人である自分自身に対しての願いが書かれているものは殆どなく、自分以外の誰かへの想いが願い事として書かれていたからだ。

それを目の前にしてしばし呆然と立ち尽くしてしまった。


◇書いたそれぞれの人がどの様な病症かは知らない。ほんの数日で退院できる人もあるかもしれないし、余命わずかという人もあるかもしれない。

しかしながら、苦しみを味わうと自分以外の人の安寧を願う様になる。同じ苦しみを味わって欲しくない、そういう想いになるのだろう。それが若い自分は衝撃だった。

以降、この時期になるとそれぞれが古傷の様に思い出される。

















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