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2024年大河ドラマ「光る君へ」への期待
「光る君へ」が年明け1月7日からいよいよ始まりますね。
平安時代が大河ドラマの舞台となるのは2012年の「平清盛」以来。
1976年の「風と雲と虹と」に次いで史上2番目に古い時代を描くドラマになるんだそうです。(wikipediaより)
主人公が紫式部ということで、2022年5月の制作発表から大変楽しみにしていたのですが、紫式部を除き私がこのドラマで最も注目している登場人物は清少納言なんですよね。
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しかし藤原道長に請われて紫式部が宮中に上がったのは清少納言が宮仕えを辞した五年後。
なので史実上は両者は同時期に宮中のライバルとして火花を散らしていたわけではありません。
とはいえ「光る君へ」では清少納言がばっちりキャスティングされており、二人の会話シーンも予告動画で公開されているので、ストーリー上も何らか両者の絡みがあるのは間違いなさそうです。
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フィクションの中に「もののあはれ」を描いた小説家紫式部と、リアルな日常の「をかし」を綴ったエッセイスト清少納言は、大昔からよく比較対象として取り上げられます。
※余談ですが「もののあはれ」という概念を提唱したのは本居宣長なんですってね。
私はどちらかというと清少納言派(?)で「枕草子」は愛読書(といっても小説版ですが)の一つです。
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ドラマ「光る君へ」で描かれるのは「源氏物語」ではなくあくまで紫式部自身の生涯ということなので、おそらく物語のベースになるであろう「紫式部日記」を予習がてら読んでやろうとググってみれば、おあつらえ向きにこんなコミックエッセイを見つけたので早速ポチっとな。
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その「紫式部日記」で有名なのは和泉式部や清少納言などの宮中女房批評ですが、中でも清少納言のこき下ろし方が凄い。
清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人。
さばかりさかしだち、真名書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、(中略)そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。
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でもって、これを踏まえた上で源氏物語の「雨夜の品定め」を読んでみると。。
寝覚の語らひにも 身の才つき、朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて いときよげに消息文にも仮名といふもの書きまぜず むべむべしく言ひまはしはべるに(中略)いづこのさる女かあるべき おいらかに鬼とこそ向かひゐたらめ(中略)
さるままには 真名を走り書きて さるまじきどちの女文に なかば過ぎて書きすすめたる あなうたて この人のたをやかならましかばと見えたり。
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どこぞの子女にそんなのがいよう。いっそのこと鬼と暮らしたがよかろう(中略)
しかしそうなると生覚えのまま漢字をさらさらと書きつづり、そうすべきでない女同士の手紙に、半ば以上も漢字を使ったりするのは、なんとも見苦しくて、この人に優美さが備わっていればと思われます。
これって清少納言のことじゃね?
本居宣長も与謝野晶子もそう思ったことでしょう。
というか、誰が読んでもそう思えるほどにあからさま。
しかも「鬼と向かい合って過ごす方がよかろう」とは、えらい言われようである。
日記で批判するだけでは飽き足らず、小説の中でまでディスっちゃうなんてね😅
まあ清少納言も清少納言で、紫式部の夫である藤原宣孝の悪口を実名出して書いちゃってますけども。(もちろん彼の妻が紫式部で、後々自分をディスってくるなど当時のナゴン女史は知る由もない)
しかし何かを執拗にディスる人は、えてしてディスる対象にコンプレックスを持っているもの。
貴族の女性が宮中に出仕(=職業婦人)したり、漢文を読みこなしたりすることがよく思われていなかった時代にあって、陰口を叩かれようとも、定子や定子サロンに集う知識人達とのウィットに富んだ会話や、音楽を楽しむことを至上の喜びとしていた清少納言。
しかも清少納言が仕えたのは美貌と教養を兼ね備え、上品で気配りもできるスーパーレディの中宮、藤原定子です。
※清少納言が「枕草子」を書くきっかけを作ったのも定子。
定子なき後も彰子(紫式部の主人で道長の娘。道長がゴリ押しで立后させた。)は周囲から何かにつけ定子と比べられたでしょうし、おそらくそれは紫式部も同じだったと思われます。
さあここで紫式部の心のうちに分け入ってみよう。(「英雄たちの選択」風に読んでね)
「私なんて宮中で敵を作らないために漢字の『一』も読めないアホなおっとりさんのフリしてんのに、香炉峰の雪がどうたらとか自分の文才や教養を臆面もなくひけらかしやがって。おまけにそんな女と私がどうして常に比較されなきゃなんない訳?💢」
そんな心持ちが見て取れますね。
思うに紫式部は、堂々と自分の才を生かし宮中生活を思う存分謳歌していた清少納言が、それはもう羨ましてくて羨ましくて仕方なかったんじゃないかと。
一方でそんな紫式部のルサンチマンが「源氏物語」を名作たらしめる原動力になったことは確かでしょう。(知らんけど😆)
ともあれ、脚本の大石さんがナゴン女史をいつどんな風に物語に絡ませるのか、大いに楽しみにしたいと思います。
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