見出し画像

大野晋と藤堂明保(日本語の探求 対談集)

昨年、相方が3週間の入院ののち無事退院した日のこと。

指定された時間に迎えにいったものの、このご時世で病室には入れず、準備ができるまで談話スペースでしばし待つことに。

空いている椅子に腰掛け、ふと壁の棚に目をやると池波正太郎や司馬遼太郎の本に混じって大野晋氏の著書があるのに気づきました😲

「日本語の探求」えらくボロボロですね。
私が持っている大野さんの著書

へえ〜、こんなところで大野晋の本を見つけるとは。
そしてその「日本語の探求」手にとってみてビックリ。
対談者のページに藤堂明保氏の名前がありますやん!!

以前、藤堂氏の本の思い出について書きました↓

お二人は同世代の著名な言語学者ですから、このテーマで対談していても何ら不思議はないんですが、病院しかも相方の病室があったフロアの談話スペースでこのような本に出会うとは、なんだか運命を感じますよね。

聞けば退院された方が置いていったものだそうですが、おそらく歴史や言語学に造詣の深い方だったんでしょう。
相当読み込んだのか、外装のくたびれ方も凄いです。
数ページ読んでみるとかなり面白く、思わず持って帰りたい衝動にかられました(笑)

ね?なんか面白そうでしょ?

とりあえず忘れないように表紙と奥付を写真撮影して帰宅。後で調べてみると、やはり絶版にはなっていましたが古書店ネットワークですぐに入手可能な古書店が見つかりました。

藤堂明保氏の「漢字ものがたり」も図書館の蔵書検索で見つけましたが、ほんと便利な世の中になったものですね。

さて、待つこと数日。思っていたよりずっと綺麗な状態で手元に届きました。

おお、綺麗じゃん。

余談ですがこの対談集はWikiの大野さんの項目にも載っておらず、あまり売れなかったのかもしれません😅
(だから初版本なのに綺麗だった??)

70年代の言語学者同士の対談ですから、日常生活ではほとんど使われないような難しい言葉(峻鋭とか峻拒とか)や専門用語(膠着語とか)も出てきますが、そこは例によってGoogle先生に尋ねればOK。

アプローチの対象が大野氏は日本語(やまとことば)、藤堂氏は漢字という違いはありますが、どちらも源流を探究することは歴史を学ぶこととほぼイコールなわけで、期待通り古代史&雑学好きにはたまらんトピックスが沢山散りばめられていました。

もちろん50年近く前の話なので、現在の通説とは異なる歴史認識にたっている内容もあったりしますけどね。

対談者にはたまたま韓国人の学者さんもおられ、韓国語を勉強中(のつもり)の身としては韓国(朝鮮)語と日本語の比較も面白かったです。

「夫余」「高句麗」といえば大ヒット韓国ドラマ「朱蒙」見た人にはお馴染みですね。

そういえば国語教師をしていた母の蔵書には白川静をはじめ日本語や漢字に関する本が沢山ありました。彼女が好きそうなテーマなので、もしかしたら亡くなった母がこの本と私を引き合わせたのかもしれないなと思ってみたり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?