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今年は金木犀に勝てる予感

秋が深まる中ふと香る、金木犀ほど人の心を揺さぶる花はない。金木犀は切ない。いい香りだが切ない。むしろ切ないからこそいい。私にとってはそういう存在だった。

胸が締め付けられるように苦しい。もうやめて。….でもやめないで。

おい!w

問題はその苦しさに甘やかさを感じてしまうどうしようもない自分だった。M気質もいいところ。ヒリヒリする、痛いくらいが気持ちいい。その刺激が癖になって毎年毎年苦しんでしまう。苦しみにいってしまう。

金木犀の責め苦に苦しむ人は私だけではないようで、その証拠に数々の楽曲が作られ続けている。フジファブリックの赤黄色の金木犀はまだその代表ソングと言っていい。

赤黄色の金木犀の香りがして
たまらなくなって
何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道

フジファブリック / 赤黄色の金木犀 より

金木犀が香ったって別に何も起こらない。ただ金木犀がトリガーになって毎年積み重なる記憶が無意識のうちに呼び起こされる。具体的に何か思い出そうとすれば、井の頭公園沿いの道を自転車で通りながら当時の恋に悶えていた記憶はある。その年に限らない。過去に嬉しかったこと悲しかったこと、腹の中に沈めたさまざまな感情が体中渦巻き、エモの沼に沈められてしまう。決して幸せとはいえない。甘い不幸の沼である。


さて、「時間の概念」を持たなければ人は幸せでいられるらしい。

以前聞いた「将来の不安」に悩む人へのお坊さんの回答を思いだす。「将来はありませんから、将来の不安も存在しません。今しかないんですよ。」

なるほど確かに。私には「時間がない」が体感はまだできないが、量子力学的にも時間は存在しないことが証明されているらしい。

聞く話によれば、アマゾン川奥地の少数民族 ピダハンという部族は時間の感覚が極めて希薄らしい。鬱蒼としげる熱帯雨林のように、環境の変化がなく比較的狭い範囲で生活していると時間の感覚は培われないという。「過去辛かったこと」や「昔は良かった」こと、将来への不安もない。毎瞬毎秒に集中し爽快な毎日を送っていて、世界一幸せな民族と言われている。

一方、日本の四季は美しい。季節が巡り変化に富んでいる。その移り変わりを感じることに生きがいを感じてきた民族と言っていいんじゃないか。ということは….?

季節の移り変わりに切なさが込み上げるのは温度や湿度や香りが変わり、循環する「時間」を感じるから。エモいエモい言う現代人も、あはれあはれ言ってきた平安人も変わらない。

四季を感じることと幸せでいることが相反しているなんて思わなかったな….。季節の変化でぐるんぐるんしようと、今現在は何も起こっていないと言い聞かせていこう。そろそろエモの沼に浸っている場合ではない。私も毎瞬毎秒に集中して爽快で幸せな日々を送ろう。


金木犀の香りに誘惑されてももう断る。エモとか切ないとかあはれとか、エンターテインメントとしてはいいと思う。ただし現実ではない。

今年は金木犀の香りに出会ったのだいぶ遅かった。昨年に続き二度咲きしているらしい。私が気づいたのは二度目のタイミングだったらしい。秋晴れの気持ちいい空の下で広い公園内を見渡すと、すでに大量の金木犀の花が咲き乱れていた。

金木犀も現実の植物である。

目を覚ませ、金木犀が香った?だから何だ?

今しかないよ。ここにいていい。

今年は金木犀に勝てる気がする。


いい香りだね。

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