親しくなったら敬語はいらない派です

もう結構前のことでDMを遡るのも大変だからしないけど、ある時noteで出会った人たちとの(文字上の)会話で、もう敬語いらないよね的な会話をしていた。というか、私がそんな話をした。

その会話の中で「デスマスクなしで!」という、最高にツボった誤字も誕生した。(彼女の誤字は非常に早いタイピング、返信速度のためであることを補足しておく。即興の芸術。あまりに良かったのでこのnoteのタイトルを「デスマスクが外れる時」にしようかと思ったけど、それは我慢した。)


これは、最近noteからの人間関係で、フランクに話せることも多くなってきて嬉しいよ、という話。


中学生の頃、数週間だけシアトルに超短期留学(というか国際交流)&ホームステイをしたことがある。午前は勉強、午後は観光。

その時、先生が友達にするみたいに私に声をかけてくれること、周りの韓国人や中国人のクラスメイトとも、たどたどしくも英語を介して変な緊張なく話せる、いや、フツーに話していいよ、と言われているような環境がそこにあり、とても自由な感覚があった。空気を読まなくていい自由、とも言えるかも。中学生の私にとってもたしかに自由の国アメリカだった。

この空気は私の中にしっかり染み込み、忘れたくない感覚になった。日本の空港に帰った時に、行き交う日本人の表情が死んで見えた。高校の英語の授業でみんなが空気を読んで日本人的英語の発音をすることに嫌気がさした。でもその日本の空気にまた馴染んでいったし、きっと帰国後の私は単にハイテンションで変に敏感だったんだろう。日本ももちろん悪くない。ただ、あの自由な感じはずっと覚えている。


大学1年生の頃、1ヶ月北京大学に留学したことがある。大学の中国語選択の希望者何十人かで行くタイプのやつ。これは一応語学留学と言ってもギリギリ良い範囲か。こちらもたしか、午前は勉強、午後は観光、みたいなものだったと思う。

何を思ったか私は、その留学中に日本人の上級生全員からですます調を外した。(1年生同士では初めからタメ語だった)

なぜかといえば、中国語にもですますはなかったから。(中国語にも私の知り得ない言い回しでの敬語はきっとあるだろうが少なくとも私たちの間では単純な会話しかできなかった)どうして少し年が違うくらいで、中国語の時みたいにフランクに話しちゃならないんだと青い反発を感じていたからだったと思う。

一大決心で決行したが、なんとのトラブルにもならなかったし、少なくとも私は話しやすくなった。もしかすると周りで少しくらい何か言われていたのかもしれない。でも、うまくいったということにしておきたい。



私は年齢とかそのコミュニティの経験年数(在籍暦など)とか関係なく、人と仲良くなりたい。もちろん相手に敬意は払うけれど、親しくなってきたら別に敬語(ですます含む)使わなくていいじゃん。と思っている。

ただ、どうやらそれほど人間関係の親しさに、日本語の敬語、ですます調、タメ語、が比例しない人も多いみたい... だから、強要はしないけど、私はそう思っている。

勤めていた会社で、会社の先輩が年齢が自分より下だとわかった瞬間にタメ語を使うような人がいて、なんだそりゃと思った。いや、失礼を通り越してもはやかわいいレベルだからそれも別にいいんだけど、良い例として。

日本のおそらく儒教的風習として、年齢が高いとどうしても敬われる。若い人の方が下の方な雰囲気がある。が、若い人の方が後に生まれている訳で、進化している、進化した社会を知っているという意味では上である。(これはキンコン西野さんの受け売り)いやいやそんな理屈ぬきでも、一つの魂同士別に上も下もないはずだ、と私は思っている。


私も、年齢等問わず、いきなりのタメ語は確かに抵抗がある。でも、親しくなったら、年が上の人とも下の人ともデスマスクは外して話せたら、そして話してもらえたら嬉しいなと思っている派で、最近はそういうコミュニケーションも多くなってきて嬉しいのです。


なお、私の英語も中国語も今はもう何も使っていないので、ですますどころか、乳幼児レベルの言語しか話せないことは補足しておきます。


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