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家族や恋人に、noteのあなたを見せられますか

半月ほど彷徨い続けていた思考が落ち着いてきて、話し合いも進んできたのでnoteに少しずつ書いていきたい。書けなかった分、感情と情報とたくさん混線して渋滞を起こしている。

まだ混乱しているので分かりにくい部分も多いと思うし、ポジティブにまとめる気遣いをしている余裕が無いのでごめんなさいなんていう余計な保険をかける自分にも、飽き飽きしている本当は。

ずっと「生きづらい」という言葉の手触りが気に食わなかった。だって生きられているから、別にいいよね?そんなありふれた自虐精神にはしばらく黙っていてほしい。いい加減認めたい。地球の反対側の不幸と比較している場合ではない。私だって、とても生きづらい。



私にはパートナーがいる。私は女性で相手も女性で世でいう同性パートナーだが、この話においてそのことは特に重要ではない。重要なのは、彼女が私のnoteのフォローを外し、ブックマークもやめたということだ。ちなみにTwitterはもともと見られていない。

逆に今まではというと私のnoteは全て彼女に読まれていて、書けなかった。私が彼女にあまり見せていない面、私が彼女に悪く思われたり馬鹿にされそうな話、彼女のことを読者に誤解されそうな話、過去の恋愛話、性の話。

彼女が読んでいないからといって、ここからも彼女を貶したり悪く言うようなことはしたくないし、するつもりもない。それでも私は自由を感じてしまった。彼女に気を使わなくていいんだということに、大きな自由を感じてしまった。


noteには、私は私が観測しうる限りの私の本心を書いていたい。それがパートナーに見られると困るとは、いったいどういうことなんだ。すかさず、自分で自分に指摘が入る。

そもそも彼女は私のnoteを読んで、「自分と違う考え方をしているな」と思うことはあっても私を悪く思ったり馬鹿にしたりすることはない。それでも、私は勝手に彼女の目を気にしてしまう。



noteに限らない。

私は常に彼女の目を気にしている。気にかけているといえば聞こえはよいが、常に監視されているように感じてしまうところがある。

起きる時間、寝る時間、食事の内容、生活音、出かけること。黙っていたら気になって「大丈夫?」と聞く。不和を恐れる自分のために聞く。一緒にいたら文章は書けないし読書もしづらい。ずっとスマホ見ててごめんなさいと思いながらスマホを見ている。ゆっくり読みたいnoteは一人になってから。

おかしい。

頼まれてもいないのに、人に合わせて行動を決めている。感じることも制限する。人と一緒にいると、感性の手足はひゅっと引っ込んでしまう。隣にいる相手の世界の中で生きている。私がもし一人だったら、どんなことを感じて生きるのだろう。もはや自分でもわからない。


私が、彼女から離れようとしたことが、彼女が私のフォローを外したきっかけだった。数日話し合った結果、まずは離れずできることをしようということで、私が彼女の目を気にせず話せる場所を確保してくれたのだった。

たしかにそれは私が過ごしやすくなる一つの有効な方法ではあるだろう。

それでも、夫婦間で仕事の話をしないのは別にいいとして、感性を共有しあえないのに一緒に暮らす関係性っていったいなんなのだろう。


今までできていたのにという話ではない。今までできていなかったことを私がやっと気づいて認めてそれは嫌だと思っている。という話をしたかった。


彼女に限らない。
他の人でも、私は深い関係を築く自信はない。

しばらく一人で暮らしたい。そんな話をしたのがきっかけだった。

今の私は、彼女と暮らし続けても、別の人と暮らしても、一人で暮らしても、どのあみだくじを選んでも、残念ながら「幸せ」にたどり着くことはないように思う。

それでもまずはもういちど一人になりたい。これからどうなろうとも、誰がなんと言おうと、たしかにそう思って行動した私を忘れないように書いておく。




追記:その後の話を書きました。



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