私がうつになったわけ

社会人になってからの記憶があやふやなので、最早正確な時期を覚えていない。

私は特に将来の夢やなりたい職業を持たない子供だった。いや昔はあった。詩人や小説家やエッセイストといった、文章で飯を食う職業に憧れていた。個人サイト全盛期のときには自分のサイトを持ち一次二次問わず創作小説を載せていて、少ないながら感想を戴いては喜んでいた。しかし高校2年生のとき、あまりに勉強をせずパソコンばかりつついているため親にパソコンを取り上げられた。事前に「パソコンばっかりやってないで勉強しなさい!」と叱られてそれでも聞かなくて取り上げられたなら仕方ないと私も納得したかもしれない。うちの親は違う。叱らない。ある日突然パソコンが消えていた。何も言われていなかった。勉強しろと怒られたことなどなかった。叱られたことなどなかった。注意されたことなどなかった。何も言われず無言で趣味兼将来の夢への手段を取り上げられたのである。なんで?どうして?なんで何も言ってくれないの?なんで何も言わずに取り上げるの?疑問と空虚な気持ちに襲われて、親に反抗する気力なんて起きなかった。ただひたすら虚無感が私を埋め尽くした。

じゃあ将来どうするのか。特になりたい職業なんてない。とりあえず安定してるからという理由で公務員を志望した。でも受からなかった。

大学生のときに初めて彼氏ができた。しかし彼は予想以上に女々しく粘着質でいつも一緒にいたいタイプで、私は一人の時間も欲しいタイプで、どんどん不満が溜まっていった。結果別れることとなったが何故もっと早く別れなかったのかと後悔している。別れた後数ヵ月彼はプチストーカーと化し、私は体重が30キロ台まで落ち過眠症からの不眠症になり偏頭痛の回数が増して、今考えたらこのとき”病んでいた”と思う。それが大学1~2年のときの出来事であったが元々自律神経が弱いのもあってか急に動けなくなったりすることが起きるようになり、大学4年のときには公務員講座を受けていたのだが途中から欠席してしまうようになり最後は行かなくなった。大学の単位はギリギリで卒業して、地元の役所を受けたが落ちて、臨時職員として採用されて地元に帰った。

当時確か国が雇用創出に精を出していて助成金が出るため、臨時職員が多く採用された。結果どうなるか。仕事の取り合い。職場に行っても本当にやることがない。暇。とにかく暇。暇に耐えられる人と耐えられない人がいて、私は後者だった。自己肯定感とか低いとかそんな問題も関係しているのかもしれないが、職場に行って何もしないというのは自分の価値が無いような気がしてくるのである。自分の存在理由がわからない。真綿で首を締めるような拷問のようなものだった。結果私はまた病んで風邪でもないのに微熱が続いて職場に行くのが苦痛でしょうがなくなって、半年で契約更新する予定だったが更新せず退職した。

そこから自分探しが始まる。自己啓発本や心理学の本を読み、自己肯定感だとかアダルトチルドレンだとかとにかく自分がどうしたらいいのかを模索した。意外と追い詰められていたようで、親が新聞に出ている求人広告をどう?と見せてくるたび涙が出た。頼むから放っておいて、と蚊の鳴くような声で言葉を絞り出したこともあった。

何かがおかしい。でも何がおかしいかわからない。そんな状態で4ヵ月過ごし、再び役所から声がかかった。確定申告の時期だけ手伝ってくれないかというものだった。親には仕事しろと遠回しに圧力をかけられ、そうは言われてもどうすればいいかわからなくなっていた私はとりあえず仕事をすれば親からの圧力はなくなると了承した。翌年の臨時職員採用試験を受け、そのまま役所に勤めることになった。

次の勤務部署はやりがいのある仕事を任されて、皆良い人ばかりで、出来が良ければちゃんと褒めてくれて、悪い事があれば優しく注意してくれる。私は徐々に安定していった。
「正職員に欲しいわー」「Aさんより確実に仕事出来るのに」そう言われてまた正職員の試験を受けるも、やっぱり落ちる。何年か繰り返して、最後に受けた年は最終面接を受けた直後から原因不明の高熱を出し1週間寝込んだ。結局落ちた。
それでも同じ部署の人には「是非正職員に」と言われる。「じゃあ部長に言って下さいよ!」と冗談交じりに返したことがある。冗談交じりな言い方をしたが内心ブチ切れていた。手前らが私を採らないだけだろ。私は試験を受けて最終面接まで残っているのに。そこで落としているのはあなた方の上司なんだぞ。

確か3年ほど同じ部署にいて、それから別の部署に異動になった。これが良くなかった。前は中の方でせっせと正職員さん達のために資料をパソコンに入力したり集めたりする仕事だったのだが、窓口に異動となった。まあ役所によく来る用のある人間というのは殆どが何かしらトラブルだったり良くないことを抱えている人間である。そんな人達の相手は、一人一人からのダメージは大したことなくてもじわじわと私のHPを削っていって、偏頭痛がまた酷くなり、動悸が酷くなり、食欲が落ち、また体重が40キロを切り、眠れなくなり、そして遂に動けなくなった。パワハラもセクハラもモラハラもない。部署の人たちは皆良い人達だった。それでも私は病んでしまった。こんな事で病むのかと、他の仕事で鬱になった人達の話を聞くともっと壮絶なのに、私はこの程度でやられるほど弱かったのかと落ち込んだ。

「動けなくなった」とはどういう事なのか。
多分経験したことのある人にしかわからないと思う。本当に動けない、いや体が動かなくなるのである。鉛のように体が重くて怠くて、FFでいうグラビデをかけられたらあんな感じだと思う。自分にかかる重力だけが普段の数倍になっているような、そんな感じ。

動けなくなるまで無理をするとどうなるか。

簡単だ。

回復に時間がかかる。

夜眠れない。食欲が湧かない。動けないからベッドから起き上がれない。尿意も便意も特に感じない。びっくりするほど省エネモードになる。省エネではなく生きる最低限のエネルギーが枯渇しているという方が正しいだろう。それでもこのままだと死ぬな、別に死んでもいいけどな、そう思いながら昼過ぎにベッドからようやく起き上がって、トイレに行って親が作って置いてくれていた朝ご飯の目玉焼きだけ食べて後はラップをかけて冷蔵庫に入れる。流石に動けなくなった私は傍から見て完全に様子がおかしかったらしく、親は心配してくれて、必要以上に構うことなくそっとして自由にさせてくれていた。これは有難かった。「大丈夫?」とか心配が故の言葉すらプレッシャーに感じてしまってもっと落ち込んだだろうから。お昼ご飯は目玉焼きだけ、晩御飯はご飯とみそ汁だけ。食べたくないのではない。食べれないのである。怠くて悲しくて正に生きる気力が湧かなくて、またベッドに潜るも眠れなくて悲壮感に襲われて動悸がして余計眠れなくなってそうこうしているうちに夜が明けて、気づいたら気を失うように眠っていて昼過ぎに目が覚める。

うつになると死にたくなる人が多い。しかし自殺するにもエネルギーがいる。私の場合完全にエネルギーが枯渇していたので、死ぬというか消えてなくなりたかった。明日になればすっと私の存在がこの世から消えていればいい。そう思っていた。自分で自分を殺すにはいろいろ手段があって、いろいろ準備しなきゃいけなくて、そんなこと調べて実践するなんて面倒なだけで、いなくなりたいと思っても死にたいとは思わなかった。

この後どう回復したかを書こうと思っていたのだが、なんだか振り返っていたら気分が少し落ちてきてしまったので別の記事で書くことにする。今日はここまで。

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