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ドライカレーの記憶

子どもの頃、毎週土曜日の晩ごはんはカレーライスと決まっていた。
両親は地元で、居酒屋と小料理屋の中間くらいな雰囲気の、小さな店を経営していたから、平日はほとんどすれ違い。晩ごはんの支度は祖母が担当し、私が手伝いをする。そんな感じの毎日だった。

土曜日のカレーは、ゴールデンカレーの中辛か辛口。2種類のルーを混ぜるとかもせず、豚こま、玉ねぎ、にんじん、じゃがいもが入った、ごくごく普通のものだったが、とにかくカレーが好きな私は、小学校に上がってから高校を出るあたりまで、飽きることなく毎週食べ続けていた。

しかし、それ以上に、心踊る家カレーがあった。母がつくるドライカレーである。
ふだん、子どもたちと十分にコミニュケーションを取れないことへの罪滅ぼしだったのかもしれない。2、3ヶ月に一度くらいのペースで、「今度の日曜は、ドライカレーにしようか」と母が宣言すると、その前日の土曜カレーはお休み。ドライカレーに全神経を集中させる。大げさかもしれないが、本当に楽しみだったのだ。

ドライカレーといっても、カレーピラフ状のものではなくて、挽き肉と細かく刻んだ大量の野菜を炒め、トマト缶と、S&Bの赤缶カレー粉やケチャップ、ソース、醤油なんかをあれこれ入れて煮詰めた、汁気の少ないカレーだ。

この実家ドライカレーにはモデルがある。
両親がやっていた店の近くに大きな本屋があって、学校帰りに店へ寄ったりすると、本好きな母によく連れて行かれたのだが、その2階の喫茶店に、ドライカレーがあったのだ。父には内緒で、よくそこで休憩をした。
楕円形の白い深皿に、白いご飯と汁気がなくペタッとしたカレー。上には輪切りにしたゆで玉子が少しずつずらして並べられ、フライドオニオンを散らしてある。別添えの小さな器には、刻んだらっきょうとチーズ。初めて食べたのは40年以上前だから、いま思えばずいぶんと小洒落た食べものだったなぁ。
この喫茶店ドライカレーを、たっぷりとつくって思う存分食べたいねと、見よう見まねで家でつくり出したのが最初だった。

ドライカレーをつくる日は、朝から大量の野菜と格闘だ。牛と豚の合挽き肉を2キロくらい準備して、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、セロリは、それぞれ”仕入れ”と言ってもいいくらいの量。それをひたすら、みじん切りにする。実家にフードプロセッサーが導入されたのは、私が社会人になってからだから、それまでは母と祖母、私の3人で手分けしながら、包丁で刻みまくった。家でいちばん大きな鍋を2つ用意して仕込み始め、野菜のかさが減ると最終的に鍋ひとつ分になる。
ちなみに、S&Bの赤缶はヒトの頭くらいある巨大な業務用を常備。なんでそこまで、ドライカレーに取り憑かれていたんだろう。思い返すと笑ってしまう。
でも、ヘトヘトになった分、ドライカレーのおいしさはひとしおだった。

高校時代、1階の本屋でアルバイトをしたときには、もう2階の喫茶店はなくなっていたけれど、店長と二人でレジに立っていたとき、お客さんの切れ間でドライカレーの話をしたことがある。本屋と喫茶店は経営が一緒だったそうで、「あれは●●のドライカレーが元になっていてね」と話してくれたのだが、肝心の●●のところがよく聞き取れず、訊き返そうとしたらお客さんが来たので、そのままになってしまった。おそらく、郵船のドライカレーあたりかな?と予想している。
機会があれば、もう一度訊いてみたいと思っていたけれど、その本屋も、もうなくなってしまった。

今日は久しぶりにドライカレー。
もう少し汁気をとばしたほうがドライカレーっぽいね。
赤ワイン入れたり、赤缶以外のスパイスも加えたり、入れるものもずいぶん変化したけれど、やっぱり好きだな、これ。
温泉卵はちょっと合わなかったかも。

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