昼間の月
この投稿は写真を元に妄想した、架空のストーリーです。
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昼間の月は存在感が薄い。
あってもなくてもいいと思うほど。
「どうせ私なんか」
今日何度目かの『どうせ』を女は呟いた。
男はそれを聞きながら、溜息を吐きたくなるのをぐっと堪える。
「私っていつもこんな感じじゃない?」
昼下がりのカフェで男と女が向き合い、話をしている。
「いつも私は蔑ろにされてる。きっと居ても居なくてもおんなじなんだよ、私なんて」
「いや、そんなことないと思うよ」
男は言った。
「そんなことないと“思う”?」
女はやや“思う”を強く発音した。
「つまりそれはあなたがそう“思う”ってだけよね?他の人はそうじゃないかもって言ってるのよね?」
男は女の言い分を否定しようと口を開きかけたが、ふと口を閉じ、女から目を逸らした。
ーダメだ。何を言っても無駄な気がする。俺が何を言おうが全部否定するに決まってる。何を言ったって『どうせ』を繰り返すんだろう。
男は無言で、コーヒーカップにスプーンを突っ込み、ぐるぐる掻き回す。
ーいい子なんだよ。顔は可愛いし、スタイルは、まあ多少ぽっちゃりはしてるけど、そこがまた可愛いし。頭も悪くない。仕事も真面目にやってるみたいだし。料理の腕もまあ悪くない。何より趣味の音楽の話を一緒に楽しく出来るのがいい。
そうなんだ。いい子なんだ。こんな風に『どうせ』を繰り返さなければ。
と男は思う。
ーちっとも私の気持ちをわかってくれない。なんでわかってくれないんだろう。簡単に『そんなことないと思う』とか言わないでほしい。それに『そんなことない』じゃなく、『そんなことないと“思う”』だし。もっと私の気持ちを、今のつらくて悲しい気持ちを受け止めてほしいのに。
女は沈んだ気持ちで、コーヒーカップにスプーンを突っ込み、ぐるぐる掻き回し始める。
ーいい人なんだ。背が高くて、顔だって良い方だと思う。そりゃあこの人よりもイケメンなんてたくさんいるだろうけど、私はこの人の顔が好き。もちろん見た目だけじゃない。頭が良いから会話も楽しいし、私のお買い物にも付き合ってくれるし、笑いのツボも同じだし。何より音楽の話は最高に楽しい。この人とずっと喋っていたい。本当に心からそう思う。
そう。いい人なんだよ。だけど、私のつらい気持ちをちゃんと受け止めてほしい。
と女は思う。
「なんで・・・」
と女が呟いた。
「なんで・・・」
と男が呟いた。
だが、『なんで』の後に続く言葉を二人とも同時に飲み込んだ。
ーなんで私の気持ちがちゃんと伝わらないんだろう。
ーなんで俺の気持ちがちゃんと伝わらないんだろう。
男はコーヒーを一口飲み、カフェの外を眺めた。
カフェの前を一人の女がちょうど通り過ぎようとしていた。
体のラインを強調した、派手な印象のワンピースに身を包み、一目で高価だとわかるバッグをぶら下げ、10センチはありそうな高いヒールを履いて颯爽と歩いている。
ーキレイな人だな。スタイルがいい。まあ俺の好みじゃないけど。
男は通り過ぎるワンピースの女を見送った。
女は男の視線の動きに気づき、自分もカフェの外に目をやり、ワンピースの女の存在に気づいた。
ーキレイな人。私より断然スタイルがいい。私にはあんなワンピースは似合わないし、あんなに高いヒールで歩くことも出来ない。
女は通り過ぎたワンピースの女を見送った。
「キレイな人だったね」
女は言った。
「ああ、キレイな人だったね」
男は答えた。
「だけど好みじゃない」と言葉を続けようとしたが、それより先に女が口を開いた。
「やっぱり『キレイな人だな』と思って見てたんだね」
男は慌ただしくカップをソーサーに戻し、
「いや、そうじゃなくて。あ、いやいや、そうなんだけどそうじゃなくて」
と狼狽えた。
「そうじゃないのかそうなのか、どっちなのかわからない」
女はまっすぐに男を見る。
「それって何か言い訳でもしてるみたいな言い方だよね?言い訳するってことは何か隠したいことがあるってことよね?疚しい気持ちがあるってことなんじゃないの?ねえ?」
いつもより早い口調に、男はますます狼狽え、言葉が出てこない。
「黙るってことは図星ってことね」
言葉を発しない男を前に、女は自分一人で話を完結させようとする。
「まあしょうがないよね。キレイな人だったし。それにしても私とはまったく違うタイプの人だったな。すごくスタイル良かったよね。ワンピースも華やかで素敵だった。私にはあんなの似合わないけど」
女の「あんなの似合わない」という言葉が、男の耳にざらりとした感触を与えた。
「私もあんなワンピース着てヒール履いて歩いてみようかな。だけど、このスタイルじゃねぇ。どうせ私には似合わないよね」
女は自虐的に笑った。
女が『どうせ』と言うたびに、透明な水に黒いインクを一滴ずつ落とすように、男の胸の内に暗いものが広がっていった。
一滴二滴なら大したことはない。だが、幾度も繰り返されるうちに、透明な水はどんどん濁り、暗く黒くなっていく。
男の胸の内も、女の口から『どうせ』という言葉が出てくる度に、暗く黒く濁っていく。
「さっきの人も確かにキレイだったけど、君だって可愛いと俺は思うよ」
「ホントに?」
「ホントに」
女の顔が少し明るくなったことに安心し、男は言葉を続けた。
「だからさ、もう『どうせ私は』とか言うの、やめろよ」
この言葉で、女の表情がわずかに変化したのだが、男は気づかず喋り続ける。
「人と比べて自分をどうこう言うのって良くないと思うよ。ホントやめた方がいいよ。それ、君の悪い癖だよ」
「良くない?悪い癖?」
「うん、そうだね。やめた方がいい」
男はコーヒーを一口口に含み、その香りを味わった。
女はコーヒーを一口口に含み、その苦みを味わった。
「そうなんだ。私のこと、否定するんだ・・・」
男はカップを置き、驚いた顔で女を見つめる。
女はカップを持ち、沈んだ顔で男を見つめる。
「人と比べない方がいいって、そんなのわかってる。だけど、ついつい比べたくなることもあるでしょ?なんでそういうの、わかってくれないだろう。なんで」
女は男の目を見て訴えた。男は目を逸らしたい気持ちを抑え、女と目を合わせようとしたが、堪えきれずにカップの中で冷めていくコーヒーを眺めた。
ーなんで私の気持ちが伝わらないんだろう。もっと慰めてほしいのに。
女は思った。
ーなんで俺の気持ちが伝わらないんだろう。こんなに慰めてるのに。
男は思った。
ーこの人のことが好きだから、好きな人に慰められたいから、だからこうやって話してるのに。
そう思いながら、女は苦いコーヒーを飲んだ。
ーこのコのことが好きだから、好きなコを慰めたいから、だからこうやって話してるのに。
そう思いながら、男は苦いコーヒーを飲んだ。
そして二人は同時に溜息を吐き、同時にカフェの外に目をやった。
ーあ、月だ。
ーあ、月だ。
二人は心の中でそう呟き、月を眺めた。
午後三時の明るい空に白い月が浮かんでいる。うっすらと見える昼間の月はどこか儚げで存在感が薄い。
「月だね」
女が言った。
「月だね」
男が言った。
「昼間の月って存在感ないね」
「そうだね」
「あってもなくてもいいくらい」
女が寂しげに小さく笑った。
「確かにそうだね。あってもなくてもいいくらいだ」
男も寂しげに小さく笑った。
ー私って昼間の月みたいだな。居ても居なくてもおんなじだ。
こんなにも私の気持ちが伝わらないなんて、きっと彼にとっては私なんて居ても居なくてもいい存在なんだろうな。
ー俺って昼間の月みたいだな。居ても居なくてもおんなじだ。
こんなにも俺の気持ちが伝わらないなんて、きっと彼女にとっては俺なんて居ても居なくてもいい存在なんだろうな。
昼間の月はどこか儚げで存在感が薄い。だが、暗い夜道を優しく照らすことは出来る。暗い夜空に輝きを添えることは出来る。暗い気持ちで夜空を見上げた人の心に安らぎを与えることも出来る。出来るのだ。
昼間の月は存在感が薄い。あってもなくてもいいと思うほど。
けれど。
(了)
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