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シカク運営振り返り記 第50回 自罰ちゃんが現れた

【はじめに】
この連載は、大阪にある「シカク」という変な本屋が、いかにしてお店らしくなっていったかを店主のたけしげみゆきが振り返る連載です。
序盤は無計画な人間がジタバタしながらお店らしきことをやっていく話でしたが、連載が進んでいく間の人生に色々あり、モラハラ初代店長との戦いパートを経て、現在はたけしげの心の暗部に向き合う内容になっています。
一応、最終的にはお店の話に帰結する予定です。たぶん。
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カウンセリングの予約完了メールに従って到着した部屋は、大阪市内にあるごく普通のマンションの一室だった。
玄関の扉を開けると、40代後半ほどの女性が出迎えてくれた。どうやら彼女がカウンセラーらしい。指示されるままスリッパに履き替え部屋に入った。まるで友達の家に遊びに来たような感覚だが、通された部屋にはテレビやダイニングテーブルはなく、代わりに療法に使う箱庭やたくさんの人形、それから向かい合わせになった2脚のソファと小さなローテーブルが置かれていた。
私はそこへ週に1回、最終的には半年間ほどカウンセリングに通った。

まず初めの数回は、絵画療法などによる精神分析や、生まれたときから現在に至るまでの体験を話すといった調査を行なった。1時間経ったら「今日はここまで」と言われ、毎回現金で支払いをする。
治療に必要なのだろうとわかってはいても、絵を描いたり身の上話をしただけで毎週6千円がサイフから出ていく状況はなかなか堪える。この出費に見合う価値が本当にあるのだろうかと、不安で仕方なかった。

私はいつも人の顔色を窺って話すクセがあったので、初めのうちはカウンセラー相手にも自分の考えをストレートに言えなかったり、言いづらいことは濁して伝えたりしていた。しかしだんだんと出費の激しさに恐怖を覚え、
「こんな高い金を払ってるのに、自分が気を使って喋ったせいで効果が出なかったらアホらしすぎる。この人には思ったことをすべて打ち明けよう」
と腹をくくり、思ったことを咀嚼せずにそのまま口に出そうと決めた。

とはいえそれも最初は難しく、相手から引かれないか、失望されないかという不安を振り払い、心のプチ清水舞台から毎回飛び降りる気分で心情を吐露していった。
そうすると、カウンセラーは人の気持ちを聞くことが仕事なので、(内心はどうあれ)当然引いたり失望することもなく傾聴してくれる。自分の発した言葉にネガティブな反応が返ってこないことに慣れてくると、不安感は徐々に薄れ、むしろ話を聞いてくれることで気持ちが軽くなるように変化していった。

身近な人と話すときは、相手からの印象や今後の関係性も考えながら話題や言葉を選ばないといけない。しかしお金という明確な利害関係で結びついており、お互いの生活になんの関わりもないカウンセラーであれば、何も気にせず思いつくがままに言葉を吐き出すことができる。それは想像以上に楽なことだった。
最初はカウンセリング自体にうっすら猜疑心があったのだが、だんだんと「これはいいものかもしれない」と思うようになっていった。

とはいえ、話を聞いてもらうだけでは問題は解決しないし、それで6千円は少し高すぎる。この調子で続けていいものか不安を抱えていたある日、カウンセラーから
「たけしげさんにはEMDRが効果がありそうなので、やってみませんか?」
と提案された。

EMDR……?
とっさに「ダンスダンスレボリューション(DDR)」が思い浮かんだが、もちろん違う。
EMDRとは、Eye Movement Desensitization and Reprocessing(眼球運動による脱感作用と再処理法)の略称で、PTSDなどのトラウマを治療する際に用いられる療法だという。眼球運動というのは、一定の速度で眼球を左右に揺らす動作のことだ。90年代ごろのオカルト番組でよく見かけた、「あなたはだんだん眠くな~る」と言いながら糸にくくった五円玉を揺らす催眠術の動作に近い。
オカルト番組で行われていた催眠術の信憑性はさておき、こちらのEMDRは効果があるということがWHO(世界保健機関)にも認定されている。しかし「効果があることは間違いないが、なぜ効果があるかはよくわかっていない」という、ミステリアスな治療法だという。

また、この治療には副作用がある。人間の心は自衛のため、過去の辛い出来事を心の奥にしまいこみ、蓋をしながら生きている。EMDRはその蓋を開け、辛い感情を呼び起こすため、場合によっては一時的に心の状態が悪くなってしまうのだという。

……と、説明を受けても正直、作用も副作用もピンとこなすぎて「ほんまかいな」という気持ちしか湧かない。
が、そんな不思議な治療が自分にどんな作用をもたらすか単純に興味があった。それにもし効果がなくても話のネタになりそうだと思い、治療を受けることにした。

(注)ここから治療について書きますが、当時の記憶をもとに再編集して書きますので、実際の療法の手順やかけられた言葉などは現実と多少異なります。
また実際はメインの治療のほかに細かいやり取りや療法も行われていましたが、割愛して特に印象的だったところだけを書いています。
なのでこの文章を読んで「この治療は不適切だ」などの判断を下すことはおやめください。

EMDRを行うにあたって、ある事前準備をすることになった。それは「自分の中にいて自分を責めるもう一人の自分に、治療に協力してくれるようお願いする」ということだった。
どういうことかサッパリわからなかったが、カウンセラーは私のクエスチョンマークをよそに置き、こう言った。

「目を閉じて、自分が治療を受けることを反対する言葉をイメージしてください」

私は言われるがままに目を閉じ、自分の内面の声に耳を傾けた。その声は、
「何がカウンセリングだ。ただ自分のダメなところを周りの環境のせいにしてるだけだろ」
「どうせお前は何やっても無駄なんだから諦めろ」
などと言っている。

それを伝えると、カウンセラーは続けて、
「それを言っている相手はどんな姿をしていますか?」
と言った。

考えたこともなかったが、言われた通りにその辛辣な言葉の主を想像してみた。すると脳裏に浮かんだのはなぜか、大阪市此花区の広報誌などにいつも印刷されているマスコットキャラクター「このはちゃん」に酷似した妖精だった。

出典: https://www.city.osaka.lg.jp/konohana/page/0000001557.html

このはちゃん(仮)は、こんなに可愛い見た目でめちゃくちゃ辛辣なことを言ってくる。小さい時からアニメに登場する妖精的存在(『ミルモでポン!』や『まもって守護月天!』など)に憧れていたから、こういう時のイメージにもオタクが染み付いているのだろうか。
カウンセラーは重ねて言った。

「想像ができたら、どんな姿か教えてください」

まさかの試練である。もう少しカウンセラーに伝えても恥ずかしくないイメージは浮かんでこないかと頑張ってみたが、どうやっても「このはちゃん風妖精」が居座って離れない。なんなら「自罰ちゃん」という名前まで頭で浮かんできて、よりキャラクター性が増してしまった。
いや、何を恥ずかしがっているのだ。この人には全てをありのままに話そうと決めたではないか。私は腹をくくり、
「えーっと……なんかマスコットキャラクターみたいな、小さくて頭に花がついてる妖精みたいな感じで、外見はかわいいけどキツイことを言ってきて、自罰ちゃんっていう名前みたいです」
とありのままを伝えたら、カウンセラーがちょっと戸惑った顔で
「えっ、自罰ちゃんですか?」
と聞いてきた。これまで何を話しても淡々と聞いてくれていたカウンセラーさんの初めて聞く声色に、自分の顔が熱くなるのを感じた。今すぐ過去にタイムトラベルして、私に妖精的存在への憧れを植え付けた作品群をまとめて家から焼き払いたい。さらに私は
「自罰ちゃんです。ちょっと変ですみません……へへ……」
と何も面白くないのに自虐的に笑い、より痛々しさが増してしまった。だがカウンセラーもさすがプロだけあって、すぐに表情を戻して
「じゃあその自罰ちゃんに、これから治療をしてもいいか聞いてみてください」
とそのまま話を進めてくれた。

私は気を取り直して目を閉じ、心の中で自罰ちゃんにそのように聞いてみた。自罰ちゃんは渋々といった調子で、
「えー?うーん、まあ仕方ないな~」
と答えた。カウンセラーにそれを伝えると、
「よかったです。では、次回からEMDRを始めましょう」
と、いうことになった。
こうして心に強い羞恥心を植え付けつつも、なんとか事前準備を終え、私はトラウマ治療を始めることとなった。

(続く)


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