「髑髏に色を塗る」③

 木下から呼び出しを受けた土方は有楽町にあるカラオケボックスに来ていた。
 何故こういう時は重なるのか。来たる渋谷での食事の日に向けて精神を統一したいというのに。土方は不機嫌そうな顔を隠そうともしないで木下の前に鎮座している。こちらの気も知らぬ木下は呑気に世間話に現を抜かしていた。
「でさ、作戦練ってるわけ。どう? 今の俺の髪色いけてるかな」
 木下はパーマをかけた金色の頭髪を指した。檸檬のように淡く、白さを持ったそれは清潔感という点においても好評だろう。本人は男性アイドルやモデルを真似てやっただけで、特にこだわりがあるわけではないと言っていた。一般的に見て二枚目という部類に入る男だと土方は考える。
「心配しなくてもお前はイケメンだよ」
 嘘偽りなく、過去の実績も鑑みての答えだった。しかし木下の欲するものとは違ったらしかった。
「ほんとによく見たか。雑にあしらわれてる気がすんなあ」
「本当だよ。遊び人のお前がびびってるわけないだろうし、今更自信つけさせる為のお世辞が必要かよ」面倒だという事実を態度で表す土方。
「今回の子は本気なの。めちゃくちゃ可愛いんだから」
 たまたま講義で斜め前の席に座っただけの女性によくそこまで熱心になれるものだ。木下はいわゆる大学デビューというやつに成功した奴で、高校に比べて大学での女性経験の増加には目を見張るものがあった。取っ替え引っ替え恋人を変えていた。そもそも交際はあまりしていなかったようで、一夜限りの関係や、気軽な出会い系のアプリケーションで性的な欲求を満たす為だけの関係性を築いていた。今は新しいターゲットを発見し、その、茶髪をポニーテールに結び、デニムのホットパンツを履いた女性にお熱らしい。
 まあ自分も似たようなものか。土方は客観的に自らを判断した。すると木下は先ほどまでとは違う、爬虫類のようにぎょろりとした瞳でこちらへの探りを入れてきた。
「お前、あのおばさんとはどうなん」
 土方は感情の機微を悟られぬよう気丈に振る舞う。しかし失礼な呼び方に、ぴくりという眉の動きを抑えられなかった。
「特に何も」
 苛立ちも相まって、あからさまに茶を濁した。
「はあ? しゃんとしろよ。出会った日が最短なんだぞ、一日一日を大切にしろよな。いつ誰に横取りされるか分からねえぞ」
 月並みの発破をかける木下。うるさいな、と土方は面相を歪めて手を払う。
「お前みたいに軽い恋愛したいわけじゃあねえの」
 少し突き放した言い方に後から気がついた。悩みを相談した友人への言葉には適さなかったと言える。それでも、何とはなしにこちらの恋愛事情を詳らかにするのは憚られた。
「まあ、確かになあ」
 予想よりも正直な返答が返ってきた。そして深刻な表情で奇天烈なことを言い出す。
「俺さ、エッチした子の名前すら忘れちゃうようになっちゃってさ」
 少し過激な発言に狼狽える。人の名前を忘れるだと。それも浅い関係ではない。体を重ねた相手だ。土方には信じられないことだった。友人の名前ならまだしも恋人の名前を忘れるなんてありえない。しかし木下のように交際をせずに大人の間柄になると重要度が下がるのか。まさか。
「それでわかったんだ。出会い系は異性の価値を下げるんだよ。相手を身分や職業でしか見なくなって、てか覚えなくなって。スペックが全てなんだ。OLとかCAとか看護師とかお姉さんとかお嬢様とか。俺、セックスしたことのある子と電車で隣に立っても多分気づかない。いつだかそんなんになっちまってた。長年の調査結果だ」
「そんなの寂しすぎる」
「そう、そうなんだよ。薄情だろ」
 もはや数をこなすこと、母数を増やすことに重きを置いているように聞こえる。手段の目的化が異性関係でも起こり得るのは恐ろしい時世だ。
 出会いが増えるのも考えものなのだな。土方はそう考えた。経験は豊富になるだろうが、それと引き換えに大切な何かを失う、または見つけられなくなるのだ。今、究極の一と出会っている自分は幸せ者なのだと再認識する。大輪の花を見つけ出した福男。
「昔は一途が一番かっこよくて、浮気とか女遊びとかは考えもしなかったんだけどなあ」
 勧善懲悪と同等に、一途な愛は普遍的な美徳として幼少期から刷り込まれる。当たり前だ。一夫多妻制でない以上、この国では愛の向きは一方向もしくは双方向が常識だ。気持ちが二分すれば必ず傷つく者が出てくる。最たるハッピーエンドはバツのつかない二人の棺だろう。
「じゃあ遊ぶのやめて身固めたら」
「だから! 今度こそ運命の人だと思うんだっ」
 土方は緊張を解いて首を横に振った。頭が痛い。堂々巡りは体力を無駄に削る。暗がりの中で、木下の手元にある、小型のテレビを想起させる分厚い機械の光が下方から彼を嫌に照らしていた。顔の凹凸が爛々と浮かび上がっている。
「お前も今ゾッコンのおばさんが運命の相手なんだろ? 一緒に射止めようぜ」片目をウインクする木下に、土方は侮蔑の眼差しを向けて抗議した。歌は歌わない。

 木下と当てもなく闊歩する。街を歩くと自分の変化に気づいた。女性に目がいかない。以前までは、多少なりとも雄としての性(さが)なのか、容姿端麗な人や露出の多い人に視線が誘導されることがあった。ショーウィンドウに並ぶ衣類や貴金属も、「綺麗だな」という感想とは打って変わって「和子さんに似合うかな」などと考える。
「桜の花びらの形ってさ、豚の足跡みたいじゃね」
 木下が何か言っていたが、空に目を向けた。どうせハナからこちらの返答など期待していないのだ。春の装いを無闇矢鱈に口にしている。
 無益なキャッチボールより、和子を想う方が有意義な時間の使い方のように思えた。事実、木下だって恋の行く末を応援してくれている。春風のせいか、濃い瑠璃色の空につくられた数本の白い縞が勢いよくうねりを見せていた。

 渋谷。春の暑さではない。開けた視界に反して、立ち込める熱気。駅を抜け、広々とした空間にごった返す人の群れ。もう少し閑静で上品な街を指定するべきだったか。土方が反省のなか日差しと戦っていると、途端に暑さを忘れた。草いきれの中に、一本の花を見た。
 落ち着いたベージュのトレンチコートを羽織り、下に焦茶のワンピースを揺らめかせていた。和子だった。踊る胸、土方の首に一筋の汗が流れる。夏を前にしてコートを着るのは従姉と似ている。代謝が低いのだ。華奢な女性らしい。
「お待たせ」
 秋服のような格好をしているにも拘らず、暑さを訴えるような調子で語尾を伸ばして言う和子。
「ごめんなさいね」
「まだ時間前行動じゃないですか」高揚を極力抑えて返す。
「それでも先に来てた人にはこう言うものでしょ」
 こういうところが好きだ。やはり自身の想像する真澄和子像と一切の齟齬がない。土方が描く好きな人の好きな部分。欲しい答えを毎回相手がなぞるような。
「それ、今日とか暑くないですか?」土方は上着のジェスチャーをしてみせる。
「曇りじゃない」さも当たり前だと言わんばかりに不思議そうな顔を浮かべる。
「でも湿度すごいですよ」
「薄い生地だから」
 腑に落ちた。わけではないが、土方は一旦押し問答に見切りをつけ、次の行動に取り掛かることにした。目的地は従姉に教えられたカフェだ。
「平気ならいいんですけど。それより、行きますか」言葉を選んだ。暑さから一刻も早く解放されたかったのも理由にあたる。

 カフェを外から確認すると人の多さが目に余った。下見では空いていた筈だったが運が悪い。土方の刹那の動揺は和子に光より早く伝わった。
「ここ、オススメのとこだったの? どこだっていいですよ、おばさんは」
「えっと」土方は和子のフォローに頭の中が白く汚染されるのを感じ取った。
「プランが崩れても臨機応変に。そんなんじゃ彼女に怒られちゃうでしょ。しゃきっとしなさい、少年」
 和子がぽんと土方の背中を叩く。感触の先を土方が目で追うと、腕の行く末には屈託のない笑顔が置かれていた。慈愛に溢れた瞳。それは異性に向けてするものではない。まるで子供への眼差しだった。
「少年って。それに彼女いないです、俺」
「あらごめんなさい」謝意の欠片もない。
 指南された通りに事が運ぶのか。幸先の思いやられる事態ではあったが、一先ず二人は人気のない店を見繕うことにした。

 落ち着きのある店内でピアノやストリングスの音が響き渡る。空気の波が荘厳な洋室を演出する。ピアノはマフラーペダルを用いた微細な柔らかみのある音色が和やかに伝わる。そんな環境は和子の魅力を一段と引き立たせた。会話をする際も、全ての挙動が土方の視界に薬としての効能を持たせる。点眼の必要も無くなる。一挙手一投足が美しい。
 大学やアルバイトの話をしていると、和子が新たな話題に切り出す。座ってから五分と少しのことだった。
「そういえば、名前。あなたの名前まだ聞けてないの。名前も知らない人と食事は出来ないわ」
 至極当然のことだった。彼女に名前を尋ねているくせに自らが名乗らないとは。三回目の逢瀬にして、遅すぎる開示だ。
「土方です」正直に答える。
「土方くん。下の名前は?」
 和子は重ねて訊いた。土方が口を開くまでに僅かな隙間があった。名前の自然な発音に手こずっていた。
「リュウ、です」ぼそりと斜め下を見てそう呟く。
「リュウくん? 難しい方かしら、簡単な方?」
「えっと」喉に痰が絡むような。言葉が閊える。不快にも思える苦しさ。
「あら、分かりにくい質問したかな。どうやって書くの」
 おそらく、和子は一般的に有名な「竜」や「龍」という字を頭に浮かべていた。
「まあ、なんでもいいじゃないですか」
 リュウは話を逸らすべく、あからさまに周りを見渡し、次にメニューを手に取った。余計な邪魔は排除して和子との会話に専念する為、ダージリン一つだけを頼んでいたが、多くのデザートの写真へ逃げるように目を通した。種類は豊富だった。和子の前にはカフェモカの湯気が依然立ち昇っている。
「私、タルトが好きなの」
 沈黙を割く言葉。和子は数あるデザートの中から、自身の好みを口にした。脈絡のない助け舟だった。
「お、俺も好きです。タルトはやっぱ最高ですよね」反射的に同調するリュウ。たしかメニューの中にそれらしきものを見た。
「マスカットも好きで」
 和子は続けた。より具体的に、果物の一種を提示する。表面に涼しげな水滴を纏わせた、瑞々しい黄緑色の風船。
「俺も好きです」言いながら急いでページを捲る。黒目が走る。揺れる。踊る。「あった。これ、頼みますか」リュウは探し当てた写真が見えるよう和子に向けてメニューをくるりと回転させた。人差し指で指し示す。和子からは、千六百八十円という価格の上にリュウの指先が見えた。彼はそれに気づいていない。
「私、カフェモカが一番好き。いつも頼んじゃう」
 リュウは飲みかけのダージリンを一瞥した。
「一緒です。今日はたまたま」メニューを閉じて和子を見つめる。言葉の続きを必死に模索するが、理由をつらつらと語ることは簡単なことではなかった。好きなものを好きだと言うのは簡単でも、好きではないものを好きだということの難しさといったらなかった。本人にとって必要ない技術というものは備わらないものである。
 なんでも好きだとつんのめって答えるリュウ。それが必死に尾を振る子犬のようで、たまらず和子は吹き出した。
「うふ、嘘」
 八の字の眉。そして笑顔。
「嘘じゃないです。気持ちの大きさは負けるかもしれないけど、ちゃんと好きです」嘘は言っていない。
「そう? なら、信じるわ」
 和子はリュウの殊勝さを買った。そして同時に、感じたことを率直に述べた。リュウにとってそれが意地悪な感想であることに彼女は気づかない。
「まるで好きな子の前に居るみたい」
 虚を衝いた発言に噎せるリュウ。紅茶の香りが直に鼻から抜ける。普通に飲むよりも強い芳しさ。
「大丈夫? ごめんなさい、そんなに笑わせるつもりはなくて」予想外の事態に慌てふためく和子。おろおろと片手に淡いピンクのハンカチを携えた。
 まだ知り合ってから日も浅く、関係性も不確かだ。それでもこういう成り行きになってしまったからには相手に言わせるわけにはいかない。勝負所は不意に訪れる。リュウは一つ、咳払いをした。
「真澄さん鈍感だから、きっと分かってないと思うんで言いますね。俺、真澄さんが好きです。真澄さんに惚れてます」
 真面目な顔だった。事実、リュウはそれを心がけた。真摯な目つき。
 和子はみだりに茶化すことはしなかった。しばらく狼狽えはしたものの、リュウの気持ちを無下にすることこそ失礼だと考えた。場の空気がそういう質感をしていた。刮目する。眼前の大学生は二回り以上異なる自分に対し、本物か偽物か、恋愛感情を抱いている。どうしたことか。
「私、アラフィフのおばさんよ?」
 謙る和子を見て、リュウは強くかぶりを振った。
「年齢なんて関係ありません」
「やだ。からかわないの」
 リュウに渡しそびれたハンカチで口元を覆う。顔の露出する範囲を狭めることで気恥ずかしさを紛らわした。リュウから見れば、時代劇を彩る武将の美しき正室のような奥ゆかしさだった。
「ちょっと衝動的じゃない。若い時はよく間違いを犯すものだし」
「いえ、本気です」
 現状、リュウの武器は和子を好きという一本の槍しかない。その単品で戦い抜かなければならない。
「あのね。バツイチの四十五。リュウくんが狙ってるのはそういう女よ。分かってる?」
 初めての情報に僅かに体を強張らせる。当たり前に覚悟していたことだ。それより、今の言い回しだと現在はフリーで、交際している男性もいないように聞こえる。僥倖である。
「分かってます」
「分かってない」
 苦い表情の和子が渋々話し始める。自分の半生を振り返り噛み砕いて説明する必要があった。
「私ね、結婚で失敗してるの。お金で苦労して、今やっと生活立て直してるとこ。前の人は心から信頼してたし、長いあいだ愛してた。けど、全部ぱあ。こんな年齢じゃ引き取り先にも迷惑かけるし、恋愛は向いてないのよ」
 辛い過去を思い出させてしまった罪悪感がリュウに張り付いた。離婚が望んだものであれ、そうでないものであれ、苦しい決断には違いないのに。
「それ、真澄さんは悪くないじゃないですか。それに、生涯独身ってわけじゃないでしょ」
 声が震えた。自身の決意に揺らぎを感じた。相手を慮ることを度外視していた可能性を発見してしまった。十八歳の自己満足。身勝手。
「旦那は遊び好きでね。まさに『飲む打つ買う』が辞められなくて身を滅ぼすタイプだったわ。私は堅実に過ごしていきたかった。度々ぶつかって喧嘩した。それで数年かけて、やっと分かり合えたの。キッパリ遊びを絶って、仕事と結婚生活に集中する。嬉しかった。長年の説得が身を結んだって。あの人の浮気や借金が分かったのは一年以上後のことだったわ。馬鹿を見た」
 和子は伏目で声色を落とす。会って数回の大学生に何を言っているのか。自分で自分がおかしくなった。沈み始めていた中、リュウの声が耳を劈いた。
「相手はともかく、真澄さんの誠実さが故ですよね。俺、そういう女性素敵だと思います」
 敢えて、意図的に、「女性」という単語を使った。
「俺初めて、人生で一番、この人! って人に出会えたんです」
 引き際は脳内から捨てる。いつだか赤羽が言っていた。「優しい男がモテないんじゃなくて、優しいだけの男がモテないの。理由は簡単だ、相手を思いやりすぎる。多少強引にでも自分の『好き』を優先させないと、叶うもんも叶わねえ。恋愛ってのは成就の為なら自分本位上等。丁重に扱ったり、優しさを惜しみなく伝えるのはその後でいい」友人の言葉に後押しされる情けなさには目を瞑ることにした。
「そんなに若くて何言ってるのよ。二十年も生きてないでしょう」
 和子は笑った。緊張の抜糸に成功した。それだけでリュウの心持ちは晴れやかになった。恋が実ることこそが最良ではあるが、自分のエゴで和子が翳るのは避けたい。

 退店する少し前に用を足しに席を離れた。その際、昨日の夜にダウンロードしたアプリケーションソフトウェアを開いた。現在地と目的地の場所を指定すると、所要時間や料金とともに送迎のタクシーが表示される。会社名が下に明記してある。目的地に関しては事前に和子の自宅の最寄駅を聞いてあった。「げっ」なかなかに値が張っている。六千円程もしたが、千五百円のクーポンを使うことで何とか気持ちを落ち着かせることが出来た。リュウは人生で始めてタクシーを呼んだ。それも現地調達でなくスマートフォンの画面上の操作でだ。到着までの間は大学での他愛ない話で繋ぐことが出来た。
 時間に合わせて店を出る。店前に、分かりやすくアプリの名前がラッピングされた車が目に入った。スマートフォンを手に、該当のナンバープレートを確認して近づくと、運転手が右手を挙げて反応を示した。二人が車の前まで来るとドアがひとりでにスライドする。車内には新品のシートの匂いが充満している気がした。背筋が僅かに伸びる。東京のタクシーは自動で開くのか。そうリュウは目を丸くしたが、そもそも地元でもあまり乗った経験はないので、記憶というもの自体がやや朧げだった。
 二人が乗り込むとドアが大きな音を立てて閉まった。強い衝撃が加わったのかといえばそうではない。車内に訪れた静寂が一つ前の音を際立たせた。向かい合っていた先程までとは違い、同じ方向を見て座っている。コートを脱いだワンピース姿の和子の肩が触れる。少し温かくて、駅の熱気にはない安心感があった。車が徐に発進する。
 カフェの滞在時間は一時間強といったところであったが、夕焼けが微かな存在感を主張し始めていた。午後四時過ぎの爽やかに下りる空。出会った当初を思い出す。
「家まで一緒に送ってくれるのね。ありがと」
 和子の角のない声が転がる。東京、渋谷は時間帯に拘らず人の数が減ることはない。窓に視線を逃すと老若男女、様々な国籍が飛び込んでくる。腰を下ろした安全圏からでもその情報量の多さに目眩が起こる。地元ではありえない光景。慣れるにはまだもう少し時間を要する。
「それは、俺が少しでも長く一緒に居たいからで」
 運転席とを遮る防護板。防犯の為に設置されているそれの厚さを信じ、小声で和子に向かって呟いた。
 リュウの背中からは何も聞こえなかった。声が小さすぎたか。霧散した告白に忸怩とした。外の人の数は多い。
 やがて目的の江古田まで着いた。駅は人がまばらだ。喧騒の落差は明白だった。
「それじゃあ」
 今日はこれでお別れだ。次の予定に漕ぎ着けるつもりが話題に上げるタイミングを失って今を迎えてしまった。リュウは失態を悔いた。
 すると車外に出た和子がコートを腕に提げながら言った。
「今度、ウチに来る?」
「えっ」
 思わず声のボリュームを間違えた。予期せぬ展開。家に誘われるなんてのはリュウの想定していたプランをずっと短縮することである。いきなりの誘いだが、断るという選択肢は無い。
「ぜ、是非!」
 今日はつぶさに喋らせすぎてしまったと引け目を感じて帰路に就くとばかり思っていた。反して、リュウは最大限の喜びを持ち帰ることとなった。

 帰りは電車で多少の節約を図った。なんだか音楽を聴く気には慣れず、久方ぶりに機器を外した。手ぶらで吊り革だけを掴み、ただ外を眺めた。イヤフォンやスマートフォンを手放すと景色は色濃く鮮明に、音は粒だち明瞭に、世界の輪郭がまるで克明になった。まさに今自分が置かれている状況や心情に呼応して水晶体へ映し出されているかのように感じる。

 帰宅して靴を脱いだ。靴下を脱いだ。蒸れた足元から解放されるだけでプライベート空間というものはより一層盤石を為す。まだ数十分前の余韻が続いている。
 なんとなく笑われそうな考え方であったが、洋画で目にするような一風変わったことをしようと思った。普通ならばそんなことはしないだろうということ。何を思ったか、リュウはガムを噛みながらシャワーを浴びた。鼻歌付きで。時おり油断すると口の隙間から湯が侵入し、ガムの風味を損なわせる。しかしそんなことも気にならない。
 万感の思いだった。胸がいっぱいになるとはこのことを言うのだろう。しかしそんな時ふと気がついた。和子からの自宅への誘い。ああ、あれはきっと親戚の子を招き入れる感覚だ。恋愛対象には程遠い。気持ちは伝えた。告白されてから興味のなかった相手を意識しだし、次第に惹かれていくケースもある。交際を始めてから相手を好きになっていくというケースも。次の戦いも全力で挑めばいいだけの話だ。リュウは自分に言い聞かせた。

 日が落ちて連続ドラマが放送していた。不倫がテーマの陰鬱なもの。チャンネルを切り替えると端っこの局が映った。昔のドラマが再放送で流れている。バンドマンが音楽での成功を目指しながらも、苦しい生活を強いられる彼女に反発され互いに四苦八苦するというドタバタ劇だ。ヒロイン役の女優を見て電撃が走った。バラエティ番組で振り返る名作映画のワンシーン。音楽番組で特集される昭和のアイドル。リュウは幼少から古い映像に触れてきており、尚且つそれを好んで見ていた節があった。
 和子には無意識の内、そういった前時代的な女性の魅力を感じ求めていたのではないか。淑やかさや気品のある遠い存在。物理的に近づくことの出来ない過去の遠さ。年齢が離れているという要素を代替とし、昭和の時代を生きた女性などの儚さや力強さを欲した。痛いほどの憧れがあった。
 いつだか感じていた。無意識に目を奪われる昔の女性の色気のある立ち振る舞い。懐古趣味もここまでいくとは思わなんだ。液晶で見た名優の面影。その類のものがリュウの深層に、和子への恋慕として強く発露した。易々と止められるものでも消し去れるものでもない。
 若者の流行りに耳を傾け、ラブソングでも聴いてやろうか。今のリュウにはそんな余裕があった。



ありがとうございます。 作家になるための糧にさせていただきます。必ず大成してみせます。後悔はさせません。