創作短編小説『赤い正真正銘』 ――8、赤いナイフと赤い薔薇――
8、赤いナイフと赤い薔薇
新大阪から東京に向かう新幹線のぞみ号の中。グリーン車の最前列の席に並んで座っていたQと船橋の元に、やっとスマホで注文した車内販売のビールとアイスが届いた。そのビールとアイスで再び乾杯をするQと船橋。
「改めて、お疲れ様~」
「お疲れ様です。しっかしQさん、冗談きついっすねえ~」
「はっ? なにが?」
「いや、今の『ピューマ』ですよ。ピューマのニット帽」
「このピューマちゃんがとうしたって?」
「だから……、ピューマじゃなくってですね、『PUMA』プーマだっちゅーの!」
「……」
「プーマ!」
「プっ!」
と口に含んだビールも吹き出す勢いで、笑い始めたQ。
「あっ、そうだった、そうだった! ゴメン、ゴメン、船橋さん! これ間違っちゃいけないヤツだよねえ~」
「そうですよ、Qさん!」
大の大人が二人して、大笑いしてしまった。Qは流石に、やや顔を赤らめながら弁解した。
「私としたことが、たいへん失礼しました。実は私の息子が小学生の頃ね、全く同じ間違いやっちゃってね。『お父さん、ピューマなんて言ったら友達みんなに笑われちゃうよ! プーマだからね、プーマ!』って、怒られちゃってね」
「へえ~、息子さんがいらっしゃったんですね?」
「昔の話ね、昔の。もちろん、今は成人してるんだけどね。一体何をしているやら……」
と言いつつも、上手そうにビールを飲むQをほほえましく思いながら、船橋はそれ以上の詮索をしなかった。そんなことよりも、もっと気になっていたことがあったからである。せっかく大笑いをして空気が和んだので良いチャンスだと思い、船橋はその疑問をQに聞いてみることにした。
「ところでQさん、一つ聞いていいですか?」
「なんでしょう?」
「さっきみどりの窓口で言ってた、『新社長』とか『公募』とかって、一体何のことですかあ?」
「ああ、それねえ~。いやね、私もあくまで噂で聞いた話なんだけどね……」
Qは思い出したように、二三度首を縦に振った後、前置きをしながらゆっくりと語り始めた。
「実は数年前のこと、『発毛クリニック』さんは新社長を大々的に公募したことがあったんだよ」
「え“-? マジっすか? 初耳!」
「うん、まだその時のニュースレターみたいなのが、HPからみることができたと思うよ」
「あの社長が、後進に道を譲ろうとしたって事ですよね?」
「そうなのよ。その当時、ちょうど色々あってねえ……。今後を考えて、そういう決断になったんだろうねえ~、きっと。いくらお元気な社長とは言え、そろそろ年齢も考えてのことなんだろうけどね」
「で、公募ってのは、外から募集したんですか?」
「そうなのよ! 『発毛クリニック』さんとは全く関係ない人でも、誰でも応募できたみたいなのよ」
「へえ~? 内部から昇進とか、昇格とか、いや抜擢かな? とにかく既に『発毛クリニック』に籍を置いている内部の人から決めようとはしなかったんですか?」
「ねえ? 当時、社長がどのようなお考えだったかは、詳しく聞いたことないけど……」
「いや、それって実は『外部から公募する』って言っておきながら、社長は内心、内部から新社長に立候補する人が出てくることを期待していたんじゃないですかね?」
「ほう! さすが船橋さん。たしかに、そういう考え方もあるねえ~」
「で、どうなったんですか?」
「もちろん、何人かは応募があったんだよね。で、来る人来る人、最初は社長にくっついて一緒に社内はもちろん、全国の支店を回ったりしてたんだよね」
「社長にぴったりくっついてノウハウを学ぶ、ってことですね?」
「ウン。それが、数ヶ月におよんだらしいね」
「当然ですよね。たった数ヶ月で今の社長と全く同じレベルの仕事ができるようになるはずがない。まあ、その数ヶ月で社長も、その応募者のヒトとナリを見極めようとしたんでしょうけど……。でも、一見厳しそうに見えるあの社長にピッタリくっつくのは、ムッチャ緊張しますよね……」
「うん、やわな人では厳しいかもね」
「でも、それを耐えられるような人でなければ、あれだけの会社の舵はとれないでしょうしね。で、どうなったんですか、Qさん?」
「結局、応募はあったものの、みんな数ヶ月でいなくなっちゃった……」
「辞めてったんですか?」
「みたいね……。もちろん、自ら辞めていく人もいれば、社長が三行半をつけた人もいただろうし……」
「だいたい、数ヶ月で今の社長と同じ事できるようになると思う方が無理がありますよね。であれば、やっぱり内部の誰かが、手を上げてくれるのを内心待っていたような気がするんだけどなあ~、社長は」
「さすが船橋さんも経営者だけあって、そんな目線なんだね。ところが内部の人たちは、知っているのよ」
「知っている?」
「ウン、社長のものすごさを。社長のカリスマ性、っていったらいいのかな」
「ああ~、なるほど。知っているが故、とても社長と同じ事ができない、と誰もが思ってしまっていた?」
「かもしれないね。だから内部から手を上げるものがいない。それを社長も分かっての外部からの公募だったかもしれないね……」
「うーん。でも、わたしだったら……。まあわたしも経営者の一面がありますが――もちろん社長とは比べものにならないんですけど――やっぱり内部からのし上がってきてもらいたいなあ……」
「でも、やっぱりねえ……。内部の者=従業員にとっては社長は特別な存在なのよ。今でこそ昔に比べれば丸くなった社長だけど、昔はほんとに近寄りがたかったみたいだね」
「それは、なんとなく想像できますね、わたしでも。だって……」
「だって?」
「ええ、ホラ、昔、『羽鳥慎一のモーニングショー』の番組内で発毛クリニックさんの生CMをやってたじゃないですか?」
「ああ、船橋さんもゲスト出演したことあるもんね」
「ええ、あれは良い記念になりましたね、緊張しましたけど。自分が出演したこともあって、実はその生CMをレコーダーに毎週自動録画していたんですよね。自分の映像が出るかもしれないと思って」
「そうなの?」
「ええ、で、毎週録画されたものを、たまにまとめてチェックしてたんですよね」
「へえ~」
「で、そこである時、事件が起きたんですよ」
「事件?」
「録画で生CMをチェックしていると、いつも通り社長が出てきて『皆さんこんにちは。発毛クリニックです』って挨拶をして頭を下げたんです。すると、頭を下げた社長の後頭部の髪の毛が、なんとなんと反っくり返って乱れていたんですよ! まるで犬のシッポみたいに。正面からみると整っている髪が、後頭部だけ乱れちゃってるんですよ」
「えー? ほんと、それ? だって髪の会社だから、それってまずいっしょ」
「ですよね。私もビックリして、次の週のCMも確認したんですよ。そしたら、またおんなじように、後頭部の髪の毛だけ反っくり返って乱れてるんですよ!」
「まじか? それは二本撮りだったんだね」
「ところが、そうじゃなかったんですよ。まさかの三本撮りだったんですよ!」
「おいおいおい、3週連続、後ろの髪の毛が乱れていたの?」
「そうなんですよ、髪の毛の会社なのにですよ」
「やっちゃったなあ~。誰だ、その時のスタッフは確か……」
「で、わたしはその時、正直思ったんですよね。そんな大事なことを言えないほど、スタッフから見ると社長は近寄りがたいのかな? って……」
「それか、スタッフから見ると後ろだから映らないと思ったか?……」
「いや、三週ともしっかりと、ばっちり映ってました」
「まさか、その場でVを確認しないわけないと思うんだけど……」
「ですよね。わたし自身が出演させてもらったときでさえ、VTRをちゃんと皆で確認してましたものね。『少しお待ちください。VTR確認しまーす。……ハイッ、オッケーです』ってな感じでしたものね」
「いくら社長に話しかけづらいったって……。ったく、その時のスタッフは……」
「まあまあ、そんなことを思い出しちゃいましたね」
「でも、確かに船橋さんの言うことは一理あるかもしれないね。と言うのもね、昔のスタッフで今は相談役をしている『赤間』って女性がいるんだけど、その人の言葉を借りれば『社長のそばにいると、まるでナイフの横にいるようで』ってね。この言葉がすべてを物語っているね」
「あっ、それ聞いたことがあります。私が発毛日本一コンテストで入賞したとき舞台で賞状をいただいたんですけど、そのプレゼンターが相談役の赤間さんでしたね。着物を着て……」
「そうそう、そうだったね。私もその時、会場にいたもんね。今でこそ相談役だけど、この会社の草創期は、結構、社長と赤間さんでいろいろ苦労したみたいよ。ほんと色々あったってきくよね」
「色々?」
「変な意味じゃないよ。やっぱり草創期だから……。前例のない職種でしょう、この会社は」
「ですね。髪の毛を復活させる会社なんて、誰も思いつきませんよね。あの社長くらいなもんですよ」
「赤間相談役の話っていか、当時の回想を聞いたことがあるんだけど……。彼女曰く『当時、社長はいつもピリピリしていましたね。社長のそばにいると、まさにナイフのそばにいるようで……。こちらが油断していると、あっという間に指導されてしまう。だから常に気が緩んでいる暇がなかったですね。いつもマックス緊張みたな』ってね。この言葉がすべてだと思うんだよね。今でこそ社長も、このプーマちゃんのように(笑)社内では、りすとあきゃっぷを被ってノーネクタイだけど、当時はいつもスーツで、必ず毎日赤いネクタイだったそうだよ」
「あっ! それ社長の勝負ネクタイですよね! 発毛日本一コンテストの時には毎回、絶対に赤いネクタイですもんね、社長は」
「そうなのよ。それだけ毎日が勝負だった、ってことだね。しかもおもしろいのは、社長も後に語っているんだよね、草創期の赤間さんについて」
「なんてですか?」
「うん、赤間相談役は、当時、実際のお客への施術はもちろん、施術スタッフの指導とか、社長の秘書というか、一人で何役もこなしてね。ほとんど共同で会社を支えたといってもいい人なんだけど……。社長が当時を回想して語っていたのよ。『私が思いついたことをまず赤間に相談する。すると良いときはやってみてくだい、とすぐオッケーが出るんだけど。気に入らないと絶対にオッケーを出してくれない。一度、無理に私の意見をゴリ押ししたときがあったんだよ。赤間がだめって言った企画だったんだけど。そうしたら、見事に失敗してね。そのあと取り返すのが大変だった。というか会社がつぶれるんじゃないかってくらい大変だった。でもその時、赤間は愚痴一つ言わず、また頑張りましょうって、励ましてくれてね。私が悪いのにね……。それ以来、赤間の判断には従うことにしたよ。赤間は普段は優しいきれいな顔をしているが、いざとなったら私のわがままを身をもって分からせてくれる。厳しいこと、聞きづらいことをちゃんと私に意見してくれる。厳しいことを言われた私はその時は、カチンとくるんだけど――まるでトゲで刺されたみたいにね(笑)――でも、やっぱり従ったほうが良いなって思う理由をちゃんと説明してくれるんだよね、彼女は。赤間は……、そうねえ例えればトゲを持った薔薇(バラ)ってところかな』ってね。社長が唯一、素直に従った人だね、当時の赤間相談役は。社長も相談役もお互いをリスペクトし合っているんだよね」
「いい話ですね! さすがのナイフも薔薇のトゲまでは切れなかった」
「上手いこと言うね、船橋さんも! で、そもそも『発毛日本一コンテスト』は、赤間相談役の発案だからねえ」
「えっ! そうだったんですか?! へえ~」
発毛日本一コンテストとは、発毛クリニックの代名詞とも言うべき企画だった。実際に発毛施術に通って見事に発毛したお客様たちが、その発毛の如何を競い合うのである。全国の各O.C(支店)を通して応募があり、まずは書類選考を行う。その選考を通過した選りすぐりが、本選への出場となるのだった。
「最近はコロナでWEB開催になっちゃったけど、それでも二十年以上も続いている大ヒット企画だからねえ~」
「ええ、わたしが素人の頃、っていうか発毛クリニックさんにお世話になる前は、そのテレビCMのイメージがかなり強いですよね。入賞者がガッツポーズをしている」
「それはよく、いろんな人にいわれるよね」
「やっぱりそうですよね。発毛クリニックといったら、あのCMですよね! あのCMはなんと言いましょうか、たとえばラ・ラ・ライザップのビフォー・アフターのCMに匹敵するくらいインパクトがありますよね。ある意味、発毛クリニックの代名詞みたいな」
「そうだね。もっとも、ラ・ラ・ライザップさんみたいに、こっちはさすがにビフォー・アフターをCMにはできないけどね」
「ですね。だからこそ、あのガッツポーズのCMが重要なんですよ! 発毛日本一コンテストで入賞したときのあの喜びのガッツポーズが!」
「そういえば、船橋さんも入賞したとき、その発毛日本一コンテストのCMに出てたものね」
「ええ、わたしはガッツポーズまではしませんでしたけど(笑)。でも、とにかくかなりいろんな人から反響ありましたよね。なにせ全国区のCMじゃないですか。だから、いろんな知り合いから連絡もらいましたよ。CMでてたでしょ? ってね」
「そんなに?」
「ええ、ものすごかったですね。今から思うと、ほんと良い記念ですね」
「それを思うと、早いところWEB開催じゃなくて、もとの会場開催に戻したいんだけどね……」
「その方が良いですよ! 絶対に! 会場開催じゃないと、発毛クリニックの代名詞のCMが作れないんですから。今のインタビューだけのCMでは、あのガッツポーズができないんですよ。だって、あのラ・ラ・ライザップだって一時調子にのって手広く事業を広げてしまい、しくじった後、またあのビフォー・アフターのCMを復活させて、見事V字回復したじゃないですか?」
「だね。ただ、今年はもうWEB開催が決まっててね」
「そうなんですか? 残念ですねえ~」
「で、話がだいぶそれたけど……」
「何の話でしたっけ、Qさん?」
「うん、新社長の公募の話……」
「そうでした、そうでした」
「でね、その公募で応募してきた人は皆ことごとくやめてっちゃたわけよ。そして、最後に応募してきたのが、あの太田さんだったんだよね、きっと……」
「え“=?! マジっすか? さっきのあの太田さんですか?」
「そう、たぶんね。で、ここからがあれなんだけど……」
「なんですか、なんですか? もったいぶらすに早く教えて下さいよ、Qさん」
「うん、船橋さん、実はね……」
急に声を潜めて話し始めたQに、ただならぬ様子を感じ取った船橋。そんな二人とは無関係に、のぞみ号は定刻通りに着々と東京方面に向かって進んでいった。
〈つづく〉
*この物語はフィクションです。実在のあらゆるものとは一切関係ありません。
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注)以上は、鹿石のブログ『ダイ☆はつ Ⅴファイブ』より抜粋です。