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夏に浮き立ち奉るスイカ

夏日の残暑がこもる部屋にいて、浮かれた酔っ払いが紡ぐ夏への讃歌である。
詩もまた歌であるならば、僕の紡ぐすべては詩であるので問題ない。かえる師匠も隣で何一つ支障はないよ、と歌にして返してくれる。そんな素敵な夜が続くと実感するたびに浮足立つ僕はふらふらと月に手が届きそうで笑う。触れた指先は冷たいか熱いか。根拠をなくした僕の詭弁はまるでフレアのようにそれこそ夜空中に漂うことは必至だ。

鹿田です、よろしく。
明日の休みを肴に酒は捗る。気づかぬ間に発泡酒を3本平らげていた。鹿田は最近マリオメーカー2にハマっているので、それでコースを作っては友達にクリアさせるということを楽しんでいた。
まあ僕の作ったコースであるのでひねくれていて、また自分にしかわからぬ易しいルートを作っては、理不尽にもがき苦しむ他者を見て悦に入る日々である。

まあ、ゲームなどやらずとも、何をしても夏の夜はたのしいのだが。
たとえばこもる熱気がビール熱と融合しいたたまれなくなったとき、そっと開けようとした窓の上辺からなる風鈴の音、22時を過ぎても賑わうカエルの宴だったり、或いは明日も再来する夏日をふと思うときだったり。

兎角僕は四六時中妄想の欠かさない人間であるので、真剣に夏の愉快を噛み締めて妄想にふけるのだがどうにもたらんと締まりなく落ちる口角は笑っているのか思考停止しまっているのか客観的には定かでなくさぞ不気味らしい。

その上目細であるので立ち尽くしたまま気絶したかと思われてもおかしくない。公園のベンチやら縁側やら適所で妄想を始めればいいのだが、勝手に始まってしまうのが妄想であり、その玄人と化した鹿田はゾンビ如く口角より流涎しながら虚ろな目をし、また眠ったようにも見える姿形で其処彼処を徘徊してしまうので危うい。
しかし本人はその夢想のうちにしかたどり着けない夏の世界があるかもしれないと貪欲に追求するのだから始末が悪い。

今は思考を言語化するという上位互換を行っているのでふと妄想に飛ぶことはないが、とはいえこれも含めて記事すべてが夏妄想であるという事実も過言ではなく、夏の空蝉代表としてはそこを・・・ご了承いただけなければ話が始まらないというもので、
――夏バカという存在がまだまだマジョリティになり得ていないという事実に少しばかり我に返る我である。夏が嫌いになる理由があるかい?
夏という夢と現の混じり際で、自身の夏を探り当てる。それを生きがいとしない人の気持が鹿田はさっぱりわからぬのである。

究極、あるいは最単純とでも表現すべきか、もがき苦しむ人生という玉ねぎを涙を流して感情あらわに剥ききったとき現れる新玉の眩さは、夏であり、スイカではなかろうか?(唯一神すいか神はそこで御口より神聖なる黒き種粒を御吹きになられた。)

.... ..,、(ぷぷぷぷ ぷぷぺp)

急いだのか最後の方のタネはうまく壁に張り付かず、ずれ落ちた。
しかしスイカ教であるわれわれは、そのお告げを800%理解した。

桐生八木節を踊れ

である。
それ以外教えなどない。

太陽を見つめると暗転する。
我々はそれを直視できないが、スイカを直視することは容易い。
太陽はかつて神であったが、一方通行の神であった。
ということは、神ではない。

緑の球体のシマシマをみよ。
シマシマの黒黒のつぶつぶの点々を覆う赤赤
我々はそれを直視し、また好き、食欲すらそそるそれが
唯一神 スイカ神

その黒点こそを見よ!
視認をゆるす、ひろき御心を受け入れよ!

僕たちは捧げ奉りまする夏の化身スイカ神よ
その終わりなき祀りはすぐそこまで来ました。
桐生八木節、ほら空にはデネブ、ベガ、アルタイルがいて、天気輪の柱に集まればまた銀河鉄道がやってきて、僕らを乗せてくれるに違いない。

それは永劫の証だ。
終わらない夏の証だ。
終わらないまつりの合図だ。

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