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鹿田、本を読む

適当なタイトルが思いつかず結果適当なタイトルにしてしまったが分かり易くていいか、とすぐ自分に甘い鹿田である。とりあえずcanvaを使っておけば何とかなるだろ感が必至だ。もう少しバランスというものがあるだろと突っ込まれそうだが、鹿田はその時にはしらっと「夏の青風なんて、気ままなもんさ。それに吹かれた文字もまんざらでもなさそうだろ」なんて言葉を吐く。言い訳だけには自信があるのだ。

鹿田です、よろしくね。

そしてタイトルに戻ればまたそのままなのだが中村文則さんに嵌っている。正しく言えば再び嵌りだした。きっかけは長期休暇中に長年積読だった「教団X」を読み切ったことだったと思う。そう、鹿田は安易にも感動したのだ。いや、詳細を述べればそこまで安易ではないのだが、傍目には安易に見える、という事だ。

なんせもともと序章で積読し、そこから数年たっての読み直しだった。僕の頭の中ではとことん暗いイメージが完成している。しかし教祖の話は面白くて、果たしてこの話は最後にどうつながるのか、それを知ることがモチベーションであった。それが、本当にいい話だったのだから仕方ない。いや、詳しくはそれ、は奥さんという媒体によって語られたものではあったが。

教団xを積読にしている人は、是非最後まで読んでいただきたい。僕は読み切ることができてよかった。

そんなこんなでやっぱり面白いな中村文則さんと思い、たまたま新刊で出ていた「自由思考」を読む。このタイミングも良かったと思う、本当にいいクッションになった。砕けた内容は面白かったし、僕の地元とのつながりも知ることができてより親近感を持つようにもなった。その後は中村文則を知るのには大江健三郎は通らなければいけないか、とそっちに向く。昔一度「死者の奢り」を読んだ(しかも読み直してみたら実際その時の記憶とは相反していて、それはそれで面白かったけど)きりだったので、手っ取り早く短編を買いあさってしまおうと思った。長編、特に後期の難解さ程度の情報はあったから。それで都合よく自薦短編集を見つけ、「奇妙な仕事」「死者の奢り」(ここら辺のニュアンスの似様は、なんとなく中村文則の「」や「遮光」を彷彿とさせた)「他人の足」(独特の幻想性、そしてその幻想に一時的に現実が兆し、また幻想に戻っていく雰囲気がなんとも癖になる)、「飼育」、「人間の羊」(ここら辺の暗さは何か通じるところがあるな、この2編は主に戦時の影響を強く受けてるけれど)「不意の亜」(内容忘れた、なんか羞恥心の話じゃなかったっけ?度忘れだ(笑))「セヴンティーン」(の途中で積読(笑))と読んだ。

セヴンティーンまで続けて読んで、少し胸焼けがしてきた。そして再び中村さんに戻り、「土の中の子供」→「迷宮」→new「悪意の手記」だ。

土の中の子供は読後感さっぱりとしていたが、迷宮、悪意の手記はなかなか重みのある読後感を植え付ける。それでもまだ迷宮の方はミステリーでもあったから、半分ミステリーとしても楽しめた。しかしさっき読み終えた悪意の手記は、なかなかの小説だったよ。うん、またしばらく中村文則は読まなくていいかな?と思ってしまうくらいだ。

けれどもまた読んでしまうんだろうな。もともとこのコロナ禍中に読破しようという明確な目標もあるので。でも合間合間に別な作家の本を読むのもありだな、と今少し思ってしまった。そういえば恩田陸「いのちのパレード」もまだ最初の1篇しか読んでいないし、蜜蜂と遠雷の続編もまだ読んでいない。そこら辺をうまく挟むか。

ま、でもそんな少し重めの本を読むのにも、夏は一役買ってくれる。冬や秋に読んだらきっと自身の心にも少なからず影響を与えているはずだ。夏に読んでも影響はないことはないが、強い日差しにあたってしまえば、そんなもの一瞬で浄化してくれる。ありがとう夏。

夏本も読みたいな。素敵な夏本どこかに隠れてないかしら。最近もう一度「風車祭」読み直そうかなとも考えている。もう読んでからしばらくたってるし、また初めて読んだときのように心から楽しんで読めるかもしれない。ほんと、あの本最高にエンターテインメントなんだよな。

本はいいよ。本の中には本当、一冊一冊にでっかい箱庭が広がっている。誰かの人生を歩んだ気になれる。いろんな人の気持ちが知れて、こんな気持ちや行動があるんだと知れて、人間性にも必ずいい深みを与える。

まあ、それはを説くには鹿田より適した人が世界中の本好きの中に溢れているのでそっちに任せよう。

ではそんな感じで、またね!

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