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そこにあるもの〈ショートショート〉#思い込みが変わったこと

 私はトイレットペーパーを綺麗に織り畳むタイプの人間だ。

 いつからこの作法で自分のお尻を拭っているのだろうかと追憶すると、物心ついた頃からと結論できる。

 誰かに教わった記憶はないし、誰かを真似た記憶もない。

 幼き私は、自らこの作法を見い出だしたと言うことだ。合理性や効率ではなく、美しさと優しさを選択したのである。



 二十センチ程ロールを引き伸ばし、それを半分に折り返す。続けて十センチロールを引き伸ばし同じ方向へと折り返す。ペーパーの両端を平行に保ち、四回反復させる。折り返す方向は常に同じ。シングルロールの場合は八回折り返す。仕上げは、ロールホルダーに取り付けられたカッターを押さえ、端からスッと切る。

 すると四つ角のある見事な正方形が造作される。

 時間をかけ丁寧に織り上げた傑作を、事前に温水でムーブした的へあてがう。

 美しく畳んだトイレットペーパーは、お尻に優しい。

 それを便器の中へ放り投げると、役目の終えた私の傑作は、正方形の四辺から水を吸い上げ、中央へと染み渡り、水の中へと溶けてゆく。

 

 砂で形成した宮殿が、満ちた潮により崩れ、子供がざれ合う砂浜へと戻る。



 ダムに沈んだ村は、地図から抹消され、都市へ豊さを供給する。



 己の重力に耐えきれず、ブラックホールに姿を変えた星は、宇宙のゴミを掃除する。



 はたして私は、今まで幾つもの傑作を便器の中へ放り込んだのだろう。

 私の傑作は、荒川の川沿いにある施設にて、汚泥固形燃料として生まれ変わっている。



 私は大人になるまで、トイレットペーパーの巻き方が複数存在することを知らなかった。

 誰もがペーパーを綺麗に畳み、それを優しく的にあてがっていると思い込んでいた。

 だがそれは私の偏見でしかなかった。

 何年も培ったもの、信じていたものを一見の衝撃で破壊された感覚は今でも覚えている。

 それは二十ニ歳の頃、親元を離れ一人暮らししていた時のこと。



 お酒好きな私は、行きつけのバーで知り合った女性と恋に落ちた。彼女は私の家に入り浸り、流れるまま同棲生活となった。
 ずぼらなところも可愛かった彼女は、その日、酔って帰ってくると「漏れる漏れる」と連呼し、玄関の鍵も閉めずにトイレへと向かった。リビングでそれを見ていた私は「おかえり」と声をかけ、玄関の鍵を閉めようと立ち上がった。

 余程ひっ迫していたのだろう、トイレの扉も閉めず、ジョボジョボと聞こえる彼女の用を足す音。

 その音が止まると、カラカラと鳴るロールフォルダーの音。

 見てしまった。

 親指と人差し指で引き伸ばしたペーパーを三回四回と折り重ね、側面に厚みをもたせている。

 それは、アコーディオンスタイルだった。

 アルミ製のホルダーをカラカラと鳴らし一枚重ねる。またホルダーをカラカラと鳴らし一枚重ねる。

 アルミ製のホルダーが一定のビートを刻むと共に重なるペーパー。

 それは、ロックだった。ロックンロールだった。

 アコーディオンロックンロールスタイルだった。



 エレキギターを背面にまわし、背中で掻き鳴らしていた。



 フォークギターを拳で叩きながらスラップ奏法していた。

 

 演奏していたギターに火をつけ、燃やしていた。



 それはカッコ良かった。

 私の知っているロックと重なり、

 カッコ良かった。

 

 仕上がりは私の折り畳み式に近いが、似て非なるもの。辺は整列していないし、勿論角もでていない。

 しかし面はある。

 面で優しく拭う点では、私の折り畳み式に近い。

 しかし、美しくない。

 が、カッコいい。

 そのカッコ良さは、私の追い求めた美しさなど、意図も容易く凌駕した。

 私は即日アコーディオンロックンロールスタイルの習得にかかった。


 だが…志し半ばで断念せざるを得なかった。

 言わば、クラシックの型が出来上がっている私に、ロックは適応しなかった。

 そして私は、自分の信じたものを棄てれなかった。



 後にわかる。私のクラシック折り畳み型は少数派だった。時間をかけて綺麗に折り畳む労力は、せわしなく生きるこの時代には、そぐわなかった。

 皆、時間を大切にした。

 皆、無駄を省いた。

 皆、物事に対する熱量を抑えた。



 景色や空間に垣間見る風情、触れて感じる温もり、執着が故に宿る思い。

 皆、情緒を見失ってしまった。



 しかし私は信じた道を前に進んだ。

 招かれた上司の自宅でも
 お祭り会場の簡易トイレでも
 旅行先のアフリカ大草原でも
 私は、トイレットペーパーを巻く時間を大切にした。



 それは…

 
 そこに…

情緒があるから…

 



 今の私といえば

 トイレットペーパーで均等のとれた鶴を織り終えると、尾っぽを掴み上げ、鶴の顔を私の下半身の先に向ける。

 滴り損ねたお汁にチョンチョンとあてがうと、くちばし からそれを吸い上げ、お汁は鶴の顔全体へと広がる。

 すると鶴は頬を赤く染め、まるで恥ずかしい様子。

 このピンクのペーパーは、水を含むと赤みが増す性質をもっているようだ。

 情緒の先に またひとつ、情緒をみつけた。

 昨年購入した一軒家の二階からは
扉も閉めずカラカラと鳴るロールフォルダーの音。
 これもまた情緒かな。

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