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退職日の朝とトイレットペーパーの芯

 退職日の朝、トイレットペーパーが切れた。キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことや、キリストが金曜日に磔刑に処せられたことだったりと、深い意味はなく、単に有給休暇数と次の業務開始日から選んだ退職日だった。目覚まし占いも最下位だった。なぜだか清々しい気分だった。これ以降の運気がどう転ぼうとも上がるしかないからだ。誰からも必要とされていなかろうが、自分がいなくなって業務に支障が起こらないくらいに社会貢献できていなかったような気がする。実際はどうなのか、残った人たちしか分からないし、私には確認する術は無い。お世話になった人たちへの感謝というより、これまで苦しかった日々を思い出すことで泣きそうになった。湯船の中で声を出して泣いたこと、終電を逃してタクシーの運転手に愚痴を言いながら帰ったこと。ドンキホーテの30円おにぎりが夕飯になって、なんで自分はここにいるんだと寝るまで考え続けたこと、自社に助けを求めても救いはなく、自分のことを「私」ではなく「俺」呼びする若手に何故か怒りを抑えられなくなったこと。

 最終日に退職の手続きに付き合ってくれた上司がお祝いとまではいかないが、飲みに誘ってくださった。マグロカツを一口頬張るたびに、うまいっす!しか感想を言えない食レポ力の乏しさを露呈した。ほとんどリモートでしか話したことがなかったので、なんて良い人だろう、この人の元で働いていたのか、と少し悲しい気持ちになった。少なくともここでの地獄無駄ではなかったと報われたような気がした。次の修羅はどんなものだろうか。これからポケモンセンターで買おうとしている身代わり人形と部屋中のお守りたち、今まで私を苦しめた閻魔達がきっと笑いながら見守ってくれるはずだ。助けてくれるかどうかまでは分からないが。

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