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サウナハット狩り

私達がスーパー銭湯の入り口で話していると、中年のおじさんがびしょ濡れの状態で服を着た姿で飛び出してきた。長髪が乾ききっていないので、床もびしょびしょだ。そしてその後、全裸で陰部をタオルで隠した若者が追って出てきた。さっきまで緑色のサウナハットをかぶっていた人物だ。

「誰かそいつを止めてくれえ!サウナハット狩りだ!」

あまりに現実的でなかったので、私は茫然としていた。

「よし、あいつを捕まえなければ。早くいくぞ」

友人にそう言われて我に返ると、長髪の男性を追うためにスーパー銭湯から出て左に曲がって2人で走り始めた。これまで犯罪者を追いかけた経験はなかったし、まさかサウナハット狩りがこんなところに出没するなんで思ってもいなかった。複数人の若者が加害者の傾向にあるという報道を見たので、単独の中年男性の犯行という今回のケースは珍しいのかもしれない。

「薄々こうなる可能性はあるかもと思っていたんだけどね。あの緑色のサウナハットはフィンランドのメーカが出している2017-SUNxの限定生産品。復刻盤が2年前に日本でネット発売された時には開始7秒で売り切れる超人気モデルだったんだ。メルカリにも出てこない幻とも言われる帽子を普段通っているサウナでお目にかかれるとはね。奪い取ったサウナハットをそのまま犯人が着用する場合もあれば、転売されるケースもある。価値からしてもその線が高いが、今回は着用ほやほやだから、犯人はそのまま着用するのが目的が狙いかもしれないな。」

走って犯人を追いかけている中、私に説明をしながら解析していた。どう過ごしていたらサウナハットにここまで詳しくなれるのだろうか。希少ということはわかったが、人の汗が染みついたサウナハットにどんな価値があるのか私には分からなかった(女学生の下着や水着が盗まれるような事件性と類似しているのだろうか?)。そして友人は今の早口で息を切らしている。一方の男もサウナに入った後だったので、かなり体力を消耗しているようだった。何度か路地を曲がり、数百メートル走ったところで男は急速にスピードを落とし、私たちはそこで彼に追いつくことができた。友人が「こんなことしていい訳がないだろう、早くサウナハットを渡すんだ。」と言い、男に近寄ると、彼の手元にはさっきまで持っていたはずの帽子は存在しなかった。「お前、帽子はどこだ」そう尋ねてもはあはあ息を切らしながら薄笑いを浮かべているだけだった。「途中の道で落ちていなかったよな?」友人が私に尋ね、「ああ、見ていないな」と答えた。コンクリートの道なので緑色の帽子が落ちていたらすぐにわかるはずだ。

「落としたんじゃない、獲られたんだよ」

「何を言っているんだ、自分が盗んだんじゃないか」

「最後の曲がり角で黒い車が通っただろう。あの時に窓から手を伸ばしてきてな、アッと気付いた時には、もう俺の手元にはなかった。はあ、はあ。もういいだろ、俺はもう無罪だろ。帰るぞ」

確かに車は通ったが、そんなこと本当に可能なのか?この男性は手ぶらなので、バッグの中に隠すなんてこともできないはずだ。

「良いわけないだろ、一度銭湯に戻って、それから事情をもう一回説明してもらう。場合によっては警察も呼ぶからな。」

「んなことしたってあのサウナハットが戻ってくる訳ねえだろうよ、去り際にあの車のナンバー見たんだよ。“さ-3078”って書いてあった」

「“さ-3078”??聞いたことがあるようなないような」

「これってもしかしてサウナハット、って読める?」

ダサい、あまりにも。しかしそういうことだろうか。わざわざナンバーにまでサウナ好きをアピールする必要があるのだろうか。

「あ、それ聞いたことがあるぞ、たしか都内を中心にサウナハット狩り目的に活動している団体があったはずだ。ちょっとググってみる、っと。出てきた。こいつらだ。」

友人の画面を見てみると、全身黒の服装をして、その服の上からでもわかるような良いガタイをしている若い男たちが映っている。それだけならかっこいいのに、それぞれが自前のサウナハットを被っていた。そして真ん中には、マジシャンが被るような形の虹色のサウナハットを身に着けた男がうんこ座りをしている。

「さっき俺から帽子を奪ったのはこの真ん中の男だな、団長だこいつは。こいつのコレクションは500を超えるらしい」

500?!絶対にそんなに必要ないし、何が彼をそうさせるのか全く分からなかったが、友人は深刻な顔をしている。

「サウナハットを奪われることを恐れてサウナハットをかぶらず、俺と同じような100均でサウナグッズを揃える人が増えるかもしれない。そうなると今の俺のスタイルがミーハーになってしまい個性がなくなってしまう。非常に恐ろしい事態だ。なんとしても避けなければならない。よし、俺がこのサウナハット戦争に幕を下ろしてやる。旅は道ずれ!一緒にサウナ界を救おうではないか」

こうして私は関わる予定もなかった、現代のサウナハット狩りと向き合うことになり、大きく人生の舵を切り替えることとなるのであった。長髪の中年男性は日差しで照らされたコンクリートの上であちぃと呟いている。

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