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長生きのパラドクス

 先日、祖父が誕生日だったのでメッセージと好物の最中を送った。次の日の朝電車に乗っている時に返事を受け取った。「もうこんな年齢になってしまいました。○○の人生のパートナー見るまではがんばらんばなあ!今日も1日頑張りましょう!」途方もない欲求によってその日は頑張れなくなった。これまで交際した方は何人かいるものの、同棲や結婚にまで発展することは無かった。祖父にとっては私が初孫ということもあり、私が結婚して子供が産まれ、ひ孫を見ることができたらさぞかし嬉しい事だろう。私も嬉しく思う。ただ、現実とはかけ離れている。

 ここ最近身近な人の結婚や入籍の連絡が増えた。SNSでも婚姻届の上で結婚指輪を重ね合わせた投稿をよく見る。その影響もあってか、私も結婚適齢期に突入しているのだと実感する。人としてまだまだ未熟なのに、だ。大気圏を越えるみたいに結婚適齢期を越える頃には跡形もなく燃え尽きているのではなかろうか。

 先程の祖父のメッセージを読み返してみる。パートナーを見るまでは頑張る、ということであれば、パートナーを見てしまったらそれ以降頑張れなくなるのでは?「パートナーもひ孫も見ることもできた、我が人生に悔いなし」ラオウのように人生に区切りをつけるなんて事もありうる。ということは、いつまでもパートナーが見つからなければ、祖父はそれまで頑張り続ける。必然的に長生きしてくれるのでは?そうだ、きっとそうだ!これは祖父が長生きする為のパラドクス的な暗示なのだ!!

 夜中に一人でプリンを食べながらこのメッセージを再び読んだ。オレンジ色の間接照明に薄暗く照らされる6畳半の天井に今までは見えなかったシミが見えるような気がした。

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