見出し画像

山に憑りつかれている~登る理由について~

先日山に登る理由を聞かれた。人によっては小学校の遠足以降山に登っていない、なんて人もいるはず。登山と聞くとハードルが高い趣味に聞こえる事もちらほら。装備は日帰りの軽装しか持っていないがかれこれ10年近く関東付近の山を登っている。私はなぜわざわざ登ってるんだろう。そこに山があるから?パッと思いついた理由は下記だ。

~~~
他人の干渉を受けない
絶対が無い
空気がおいしい
死が近い
自分と向き合う
自由
~~~

それぞれ簡単にまとめていこうと思う。

・他人の干渉を受けない/自由
以前は友人と登ることが多かったが、最近は予定が合わないこともあり、一人で山に登ったりもする。その時は休憩をいつ取ってもいいし、間食の羊羹をいつ食べてもいいし、どれだけ山頂にとどまってもいい。とにかく自分だけの時間なのだ。普段一人で暮らしているので生活の中でそこまで他人から干渉されることは無いが、山では自分の時間を顕著に感じることができる。

・自分と向き合う
普段考えようとしていてもいざ向き合うことができない事が誰しもあるはずだ。山の中にいるとおのずと心が解放されるのか、日常で入ることができない自分の心の深層まで入ることができる。素直な自分のありのまま全てを受け止めてくれる山は寛大だ。登る人それぞれの想いをがっちりと受け止めてくれる。

・絶対が無いこと/死が近いこと/山と対話すること
天候も、登頂できるかどうか、ケガしないかどうか。絶対が無い。自分が想像していなかったことが起こる。ありえないなんてことはありえないのだ。だからこそピークにたどり着いた時にはいっそう嬉しいし達成感があり、無事に下山した時には生きていることを実感できる安堵を覚える。
死にたい、とかではなく、一定のスリルを味わうことができるのは山の醍醐味の1つかもしれない。一方で低山であっても毎年一定の遭難や事故が起こるのは事実であり、事前の準備を怠ってはいけないのは言うまでもない。準備にかける時間、山の中での自分の判断、当日のコンディション、持っていくギア達。登るまでのプロセス全てをフルに活用して大自然に向かう訳で、それが報われる瞬間がとにかく心地いい。誰から認められるわけではなく、自分と山との対話なのだ。

・空気がおいしい
そんなに単純なこと?と思うかもしれないが、都内に住んでいる私にとっては大切なことだ。山で過ごす時間が自分の身体を浄化してくれる気がする。生命の循環、一種のデトックスなのだろうか。登った後と前では明らかに違うのは、登った事がある人には必ず伝わるはずだ。

書いていくうちに自分がなぜ山に憑りつかれているのかが少しわかった気がする。夏は登山、冬はスノボ、山は年中私たちを迎えてくれる。次はどこの山で過ごそうか。今年も残り少なくなってきたスケジュール帳をめくってみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?